◇思い出の映画館はありますか
映画の記憶は作品自体はもちろんだが、場合によっては内容以上に、その映画を見た映画館や外に出たときの街の光景、帰りに食べたもの、一緒に見に行った人との話など、人やその時のタイミングによってさまざまだ。10年以上も前なのに、この映画を「×××の映画館で、○○の気分のときに観た」としっかり覚えていることがあったりもする。映画館はそれ自体が映画とともに生き続ける大事な場所である。
シネコンの拡大などで映画館の個性がなくなっていくのは残念でならないが、それでも好きな映画館、思い出深い映画館というのはある。以前このコーナーでも取り上げた東京・日比谷の東宝本社ビル地下にあった旧みゆき座や、有楽町マリオン向かいで現在の有楽座のビル地下にあったニュー東宝シネマ2、数々の言い伝えを残す旧丸の内ピカデリー、ATG映画を上映していた日劇文化、新宿文化地下の蠍座、渋谷全線座、東急名画座、個人的に日本映画の学校だった銀座並木座などきりがない。
佐々部清監督が昭和30年代から40年代にかけての映画館を舞台にした映画を撮る、と聞いたときから、映画を愛する人、映画館への愛情に溢れた映画になるだろうことは予測できた。しかも、映画の合間に舞台に立って、主題歌を歌ったり、声帯模写などをする幕間芸人の物語。5本目の監督作品だが、すでに、期待に反することのない奥深い人間ドラマを撮る監督と評価するファンも多い。4本目の「四日間の奇蹟」はややファンタジー色が強すぎたが、「チルソクの夏」「半落ち」など人物描写の確かさが際立っていた。
この映画でも、大学時代の同期生が書いた幕間芸人についての原案から、オリジナル脚本で佐々部版「ニュー・シネマ・パラダイス」とも呼べる作品を創り上げた。地元、山口県下関市のタウン誌に異動を命じられた契約記者の香織は、昔ある映画館に出ていた幕間芸人を探してほしいという投稿をもとに取材を始める。その映画館で長年働くモギリ(チケット切り)の女性から、仕事熱心な幕間芸人、安川修平の話を聞く。安川は映画館で知り合った良江と結婚し、長女、美里が生まれる。貧しかったが幸せを感じていた3人の暮らし。しかし、テレビの普及で映画館に来る人は減り、修平は舞台を去り、無理をして体を壊した良江は息を引き取る。父と娘は離れ離れになっていく。
当時の安川修平とその娘の話を聞いた香織は、成長して母になった美里と父、修平を探し、再会させようとする。そこに、香織自身の父とのわだかまり、修平が以前働いていた映画館の閉館が重なっていく。当時と現在を違和感なく分かりやすくつなぎ合わせ、そこに、当時の在日朝鮮人への偏見や差別を絡めていく描写はさすがである。
小道具も効いている。その映画館に閉館まで残っている古い長いす、そこで安川家族3人が楽しく弁当を食べるシーンは微笑ましく、なつかしささえ感じる。どこの映画館にも不思議にこの映画に出てきたような長いすがあった。3本立ての合間に、こうした長いすに座り、買いこんできたパンやおにぎりにパクついたのを思い出す人もいるだろう。
そして、もうひとつ触れたいことがある。これまでの佐々部作品と同様に、今回も実にキャスティングがいい。芸達者な役者を揃え、違和感なく物語の世界を構築していく。なかでも、ミュージシャンとしてだけではなく、古くは「青春の蹉跌」など数多くの優れた日本映画に素晴らしい音楽を提供してきた井上たか之が現在の修平役を好演。さらに、やや唐突な展開ではあったが、現在の美里を演じた鶴田真由が済洲島で父に再会した時の表情がすこぶるいい。積年の思いをかみしめながらもようやく父に会えた喜び、自分への解放感が全身から伝わってきた。
この作品は、当時を知る世代、全盛期から衰退期への階段を降り始めた時代を懐かしむ映画とは言いたくない。映画館とそこに生きた人たちの物語であり、周囲の人たちを含め、市井の人たちの感情の機微、ささやかだが懸命に生きてきた人たちへの賛歌である。観終わったあと、ふとあたたかな気持ちで映画館をあとにできるだろう。【鈴木 隆】
(11月12日からシネスイッチ銀座ほか全国ロードショー、9月17日から山口県、北九州市で先行ロードショー)
「カーテンコール」
2004年/日本映画/111分/コムストック配給
プロデューサー:臼井正明 原案:秋田光彦 監督・脚本:佐々部清 撮影:坂江正明 録音:瀬川徹夫 美術:若松孝市 照明:守利賢一 編集:青山昌文 音楽:藤原いくろう
出演:伊藤歩、藤井隆、鶴田真由、奥貫薫、井上たか之、藤村志保、夏八木勲、津田寛治、田山涼成、橋龍吾、粟田麗、伊原剛志、黒田福美、福本清三、水谷妃里