22日亡くなった城山三郎さんは、名古屋市生まれで、愛知学芸大(現愛知教育大)で教べんを執り、自宅のあった同市千種区の地名「城山」をペンネームにするなど、地元とのゆかりが深かった。
文芸同人誌活動を通じて無名時代の城山さんと知り合い、読書会などで50年以上交流を続けてきた同市東区前浪町、中部ペンクラブ顧問、国司通さん(82)は「1週間ほど前に入院したと聞き、心配していた。長年の友人を失ってさびしい」と声を落とした。1954年から、知人らと読書会を05年春まで名古屋と東京で約300回続け、城山さんは欠かさず参加したという。国司さんは「企業や軍隊など、人間を歯車として扱う大組織に対し、一貫して批判の目を持ち続けた正義感の強い人だった。最近は世相に迎合する作家が増え、『日本の文学の将来が危ない』ともらしていた」と話した。
城山さんから1万冊以上の蔵書を寄贈され、特設コーナーを設けている「文化のみち二葉館」(名古屋市東区)の副館長で作家の西尾典祐さん(51)は、寄贈をきっかけにここ数年親交を深めていた。西尾さんは「普段から偉ぶったところがなく、小さなことを気にしない人。一方で右傾化する政治やおごれる企業の経営者など、怒れる対象は常に大きなものだった」と評する。
同館では戦争文学に焦点をあてた企画展「城山三郎の戦記小説展」が18日に閉幕したばかり。「『3月になったら名古屋に見に行くから』とのはがきをもらったのが最後の交信で、結局来られなかった。普段の読みやすい字が乱れていて、お体の調子を崩されたのかと心配だった。残念です」と話していた。【安達一正、影山哲也】
毎日新聞 2007年3月23日 2時05分 (最終更新時間 3月23日 2時06分)