「新しく、改善された」といううたい文句はシリアル食品や歯磨き粉だけではない。インドの場合、経済成長率の統計値がそうだ。インド中央統計局の今月の発表データには「あっと言わせる」要素が加わっていた。10~12月期の国内総生産(GDP)が7.5%増だったと発表し、予想よりも約2ポイント高かった。算出の基準年を2004~05年から11~12年に変更したほか、統計学者がインドのデータを国際基準に合わせたとしている方法論の変更がいくつかあった。新基準では13~14年の成長率は6.9%となった。以前発表された4.7%という停滞した数字は、国民会議派による前政権の命運を決するのに一役買った。
首都圏線路の建設現場で(9日、コルカタ)=ロイター
GDPの算出方法を変えたのはインドだけではない。最近では多くの欧州連合(EU)加盟国やナイジェリアなどが、ありとあらゆる理由で修正した。それでも、インドのGDP再評価はいくつかの考察を導き出す。
第一に、大半の人々がGDPのデータを深刻に受け止めすぎている。方法論の微調整がこれほど大きな影響を及ぼすならば、そもそもこうした数字を深読みしすぎるべきではない。特に、政治的な意図でデータが操作されやすい中国や、経済の大部分が地下に隠れていて測定が難しいインドはそうだろう。インドの場合、政治的な動機が働いたわけではないようだ。モディ政権も他の人々と同様、新しいデータに驚いていた。だが、基準年を変えたGDPが「持続する景気後退を示唆するこれ以外の多くの指標と著しく矛盾している」と指摘するのは、英調査会社キャピタル・エコノミクスだけではない。
第二に、GDPの不完全な尺度を経済判断の唯一の基準とすべきではない。ノーベル経済学賞を受賞したインドのアマルティア・セン氏が、他の要因(同氏は「潜在能力」と呼ぶ)の達成が、政府の政策を決めるのに主要な役割を果たすべきだと主張したのは正しい。それらの一部は、健康や識字能力、福祉という結果に帰着するだろう。セン教授が指摘したように、インドでは栄養不良、非識字率、社会的剥奪があまりにもはびこっており、そうした基準で名目上はもっと貧しいバングラデシュよりも、深刻な状況に陥りやすい。