世界遺産の原爆ドーム(広島市)が1915年、「広島県物産陳列館」として完成してから100年を迎えた5日、広島大の学生らのグループが慰霊の献花をした。グループは、そばを流れる川で被爆した瓦や建物の破片を採取して観光客らに見せ、被爆の惨状を語り継いでいる。
原爆ドームはれんが造り3階建て。45年8月6日、ほぼ真上で原爆がさく裂し、中にいた約30人は全員即死したとされる。建物は大半を焼失し、ドーム周辺部だけが残った。66年に永久保存が決定し、96年に世界遺産に登録された。
瓦などの採取活動をしているのは、沖縄県浦添市出身で広島大大学院生の嘉陽礼文さん(36)を中心に設立した「広島大学原爆瓦発送之会」。この日は、瓦などを採取した後、ドーム前の慰霊碑に献花し、平和を願う気持ちを新たにした。
原爆投下から8月で70年となるが、元安川には今も、爆風で吹き飛んだドームのれんが壁や周辺の民家の瓦などが沈んだまま残っている。
発送之会は2009年に設立。月に5回ほど、現役の大学生や卒業生、教員ら約15人で採掘を続けている。13年9月にはドーム3階のひさし部分にあったとされる重さ約80キロの装飾品を発見。今年中に物産陳列館を設計した建築家の出身地チェコに寄贈する予定だ。
原爆ドームの呼称は、被爆の記憶を伝える象徴として50年代から定着。平和記念公園は、ドームと原爆慰霊碑、原爆資料館が直線上に設計された。嘉陽さんは「70年たっても焼けた瓦の断面から熱線や爆風の恐ろしさが分かる。人々の苦しみや痛みを伝えるため活動を続けたい」と話した。〔共同〕