入社(創業)時の夢はかないましたか?
この春、多くの若者が、夢をいだいて社会人になりました。経営者のみなさんが入社当時、あるいは起業したころ描いた夢は、かなったのでしょうか、そしていま、若者たちに伝えたいことは? 新たなメンバーも加わった経営者50人に聞きました。
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ご協力いただいた50社(順不同)【北海道】武部建設、岩見沢液化ガス【東北】高田自動車学校、八木澤商店、オクト、蔵ホテル一関、シェルター、八葉水産、東穀、ヴィ・クルー、キクチ【関東】中里スプリング製作所、日本プラスター、日本電鍍工業、永瀬留十郎工場、プレジール、日本橋梁工業、コビーアンドアソシエイツ、吉村、石坂産業、アイシービー、喜久屋、セリエコーポレーション、アトム精密、エイアンドピープル、ミナロ、アフロディーテ、ウェルネスダイニング、一友ビルドテック、ユウマペイント、サンパワー、ジー・ブーン【中部】給材、ネコリパブリック、キタガワ工芸【近畿】ロマンライフ、山田製作所、中野BC、新日本テック、進和建設工業、カワキタ、梅南鋼材、三協製作所、成田塗装、日本グリーンパックス【中国、九州】エブリイ、ヒューマンライフ、お掃除でつくるやさしい未来、プレースホーム、ツシマ
■〈Yes〉 スクール事業「アイシービー」社長・二神弓子さん(43)
メイクからマナーまで総合的に女性を磨くスクールをしています。1998年から、およそ1万3千人を指導してきました。
起業した当時は、マナーを学ぶのはマナースクール、メイクはメイクスクール、とバラバラでした。1人の女性を一貫して磨くのが夢でした。業界でもうちのことが知られるようになり、夢はかないました。
もとはモデルに憧れ、修業しました。でも、身長や身体のバランスは、努力ではどうしようもありません。見切りをつけて、企業研修の会社に勤めました。そして26歳、ワンルームマンションの事務所兼自宅で起業しました。
いきなり、どん底です。電気、ガス、水道、ぜんぶ止められたこともあります。諦めようと何度も思いました。でも、スクールの回数券を買ってくれた方たちがいらっしゃいます。途中でやめたら、たいへんな詐欺になります。周りの人たちも、折れそうになるわたしを、「きみなら出来る」と説得してくれました。
この春、社会人になった若い女性のみなさんが40代を迎えるころには女性の活躍は当たり前になっています。「女性活用の時代」は終わり、性別の違いなど小さな、「多様性の時代」になっているでしょう。結婚、出産、仕事、それらすべてを、女性が気負わずにできる時代になるでしょう。来たる時代に夢をかなえて公私とも人生を満喫するため、まずは経済的自立を目指してください。(本社・東京都中央区、スタッフ35人)
〈Yes〉 夢は、社員たちが「自分が人生の主人公だ」と胸を張る生き方をしてくれることだった。実現されつつある。常に責任と努力が求められる。若いみなさん、社会人としての「筋力」と働くための「筋力」をつけ、自分が主人公の人生を生きて下さい。(50代・サービス業)
〈Yes〉 創業の夢は、電話対応が日本一のコールセンターをつくること。「人間力の向上」を追求し、自主性を高めた。毎日何十通も、「ありがとう」のはがきや手紙が届くように。若いみなさん、お客さまに何ができるかを考えつつ、人生を謳歌(おうか)して下さい。(50代・サービス業)
〈Yes〉 優しさにあふれた、入社して本当に良かったと思える会社をつくる。これが起業の夢だった。評価なし、ノルマなし、部署なし、給料休暇は大企業以上など、常識にとらわれない策で夢はかなり実現した。若いみなさんには、「明るく元気に前向きに」。(60代・サービス業)
〈Yes〉 業績の悪い会社を黒字にし、社員に最低1カ月分の賞与を出すことが夢だった。社員の頑張りで、かなった。若いみなさん、何があろうと最低3年は続けることが大切。どの会社に行っても、嫌なことは起こる。厳しい状況から逃げない人間になって下さい。(40代・製造業)
■〈No〉 鋳物業「永瀬留十郎工場」社長・永瀬重一さん(45)
1871年に創業した鋳物工場の6代目です。半導体製造装置の部品などをつくっています。
東大工学部をでて、産業機械メーカーに就職、3年後、亡き父に頼まれて家業に入りました。
きつい、汚い、危険。鋳物工場は3Kの職場です。無人化の夢を持ったことがありました。でも、現場に入って分かりました。無人化できる量産仕事は、もう残っていない。ひとつひとつ丁寧に、手作業で汗を流して確実につくる、これが日本に残る鋳物の仕事だったのです。
かなっていないというか、そもそも、夢が的外れだったのです。
産業機械メーカーに入ったとき、夢はありませんでした。リストラの嵐に、夢をもつ余裕などありませんでした。家業に入ってからも、たいへんな日々がつづいています。吉永小百合さん主演の映画「キューポラのある街」の舞台から、次々に鋳物工場が消えています。
でも、夢をみつけました。価格の安さではなく、難しい仕事をこなす技術で評価される、そんな鋳物工場になることです。競争相手が減っているわけですから、残存者に利益がまわれば夢への道が開ける、と信じて頑張っています。
若いみなさん。はっきりした夢を持てる人は、幸せです。すばらしい。でも、夢がなくても悲観することはありません。仕事をしているうち、何かの拍子に夢って生まれるものじゃないでしょうか。(本社・埼玉県川口市、従業員45人)
〈No〉 父を経営の第一線から退かせて楽をさせる、が夢。しかし、いまだに技術では父が第一線にいる。若いみなさん、どんなささいな仕事にでも、期限を意識して進めたらいい。私が夢を実現できていないのは期限を決めなかったため。自分への戒めでもある。(40代・製造業)
〈No〉 1度目の会社は倒産、いま2回目の創業会社を営んでいる。1回目は共同創業で、いいときは俺の手柄、業績不振なら俺が悪いわけじゃあない、なんてレベルだった。偉そうなことは言えないけれど、一人ひとりが人生経営の社長、未来を築くのは自分だ。(60代・製造業)
〈No〉 ネイルサロン開業が夢で、資金稼ぎに父の産廃処理会社で働いた。だが、父の会社が地域から必要ないとレッテルをはられ絶体絶命、開業は断念。悪戦苦闘の末、今では地域の誇りと言われる。若いみなさん。すべての仕事に意味があり、価値がある。(40代・サービス業)
〈No〉 東北の稲作農家の所得を上げる夢をもって、米を買い取り、ネット販売している。10年で一部に手応えを感じてはいるが、まだまだ。「社会人とは他人との『競争と行動』ではなく、自身の心での『競創と考働』。本当の敵は自分、諦めなければ無敵だ」(40代・サービス業)
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◆編集委員(中小企業担当)の中島隆が担当します。みなさんの声を多く紹介するため、「中島隆の現場で考える」は休止します。