火災前の緑風荘「槐(えんじゅ)の間」
「座敷わらしの宿」として有名な岩手県二戸市・金田一温泉郷の旅館「緑風荘」。火災で全焼したが、5月14日に営業を再開する。3代目社長五日市洋(しょう)さん(48)は再建の喜びをかみしめつつ、座敷わらしが戻ってくるのを心待ちにしている。
宿場町として栄えた金田一温泉郷には「平民宰相」原敬や松下電器産業の創業者松下幸之助も宿泊した。緑風荘の建物は、江戸時代の1689(元禄2)年ごろに建築されたと伝わる。五日市さんの祖父が1955年に営業を始めた。
座敷わらしの言い伝えは、南北朝時代にさかのぼる。北軍に敗れて逃れる最中、五日市家の先祖である藤原朝臣藤房の長男で当時6歳だった亀麿(かめまろ)が病で亡くなった。そのとき亀麿は「末代まで家を守り続ける」と言い残し、座敷わらしになったという。宿の敷地には亀麿をまつる亀麿神社がある。
2009年10月4日夜。近くに住む小林茂巳さん(63)がサイレンの音で外に飛び出すと、緑風荘から火の手が上がっていた。急いで自宅裏手の畑に登ると、宿から丘に向かって小さな光の玉がふわふわと風になびくように飛んでいくのを見た。すると程なくして小雨が降り出した。
小林さんは、この日は満月がよく見える、雲一つない夜空だったと記憶している。「火の勢いを消すため、座敷わらしが雨を降らせたのでは」と信じている。宿は全焼したが、宿泊客と神社は無事だった。
緑風荘の名物は「槐(えんじゅ)の間」。この部屋で写真を撮ると光の玉が写り込み、これが座敷わらしとうわさされた。「一緒に遊んだ」という客の体験談も多い。