飯場跡を見学する在日コリアンや日本人の一行=京都府宇治市、中野晃撮影
在日の韓国・朝鮮人が暮らす京都府宇治市のウトロ地区。今年に入り、韓国や日本国内から訪れる人が相次いでいる。なぜなのか。
太平洋戦争中、国策の京都飛行場建設に動員された朝鮮人の労働者らが敷地の一角で生活した。もとの地名は「宇土口」だったが、地域の人々が呼んだという「ウトロ」が戦後に定着。敗戦時には約1300人がいたとされ、今も地区(約2・1ヘクタール)には55世帯・約130人が暮らす。立ち退きを求められたが、2011年までに韓国政府系財団の出資や寄付金などで一部の土地を買収。宇治市、京都府、国が公営住宅2棟を建てることが決まった。
住宅建設や周辺の整備に伴い、「飯場」跡も残る建物の取り壊しが早ければ6月にも始まる。「記録や記憶に残したい」。そう考える人たちが次々と足を運ぶようになった。
著名タレントのウトロ訪問が韓国の人気テレビ番組で放映された昨秋以降、韓国からは修学旅行生や数十人規模のグループがたびたび訪れる。2月には釜山の東亜大建築科生ら12人が路地で写真を撮影したり、巻き尺で建物の寸法を測ったりした。ジオラマを作り、釜山でウトロの変遷を紹介する展示会を開くためだ。