「夢は服のデザイナーになることだった」と語るヤヒアさん。母国シリアから持ってきたファイルには、自分で描いたデザイン画が入っていた=15日午後、トルコ・イスタンブール、矢木隆晴撮影
難民問題などを話し合う国連の「世界人道サミット」が23日、2日間の日程でトルコ・イスタンブールで始まった。紛争や災害で、第2次大戦後最悪の1億3千万人以上に支援が必要とされる。資金確保に苦しむ国連は各国にさらなる支援を求めるほか、民間資金の呼び込みもめざす。
ロシアが声明文 世界人道サミット「署名したくない」
初の人道サミットは国連の潘基文(パンギムン)事務総長が提唱した。177カ国の政府代表や国際機関、非政府組織などから約5200人が参加。首脳級ではドイツのメルケル首相やトルコのエルドアン大統領、ウクライナのポロシェンコ大統領ら65人が出席した。日本からは福田康夫元首相らが出席した。
国連によると、支援に必要な資金は2003年の6倍に当たる210億ドル(2兆3千億円)。国連人道問題調整事務所(OCHA)は昨年、シリアやアフリカなどでの人道支援のため200億ドル弱の資金提供を各国や民間に呼びかけたが、確保できたのは約半分だ。
現状打開のため、潘氏は「届ける支援から人道ニーズ解消に向けた取り組みへ」を目標の一つに掲げた。サミットでは緊急性を重視する人道支援に、インフラ整備など中長期の開発支援を組み合わせ、民間からの投資を募る方針を示す。
23日には資金面でも「人道」と「開発」の2分野の融合を促すことや、民間資金の導入を盛り込んだ「グランド・バーゲン」(重要取引)と呼ばれる基本文書が、主要な資金拠出国と国連機関などによって署名される。
中長期的な支援として特に重要な、難民の子どもの教育に使うため、目標額38億5千万ドルの基金も正式に創設される。
ただ、紛争地での支援実績を持つ「国境なき医師団」(MSF)は、現場での人道支援の促進を脇に置いて、中長期の開発支援に軸足を移しつつあることを非難してサミットをボイコットした。人道支援関係者も「国家による国際人道法を無視した紛争が繰り広げられている現実をサミットの機会に変えるようにすべきではないか」などと疑問を投げかける。(イスタンブール=松尾一郎)
■欧州に渡っても「未来がない」
内戦中のシリアを逃れた難民は約480万人。隣国トルコは最大の受け入れ国で約270万人が暮らす。低所得者向けアパートで共同生活を送る難民たちは、将来の道筋が描けない様子だった。
イスタンブール郊外。アパート7階にある約80平方メートルの部屋に、難民の男性6人が暮らす。月1千リラ(約3万7千円)の家賃は分担して支払う。
最古参のバセムさん(28)は2014年3月、シリア北部アレッポから逃れてきた。2年間の兵役義務は終えていたが、再徴兵されるかも知れないと軍関係者に聞いたからだ。「次に徴兵されれば、前線に送られて死ぬと思った」
グラフィックデザイナーだったバセムさんは、トルコでも同じ仕事ができる企業に職を得た。月給1300リラ(約4万8千円)。うち450リラ(約1万7千円)を知人を通じて実家に送る。「私には専門技能があったので幸運だった。一緒に逃れてきた仲間はみな、工場で肉体労働かレストランで皿洗いをしている」
電気技師だったアブドゥルさん(35)は14年5月に逃げてきた。いまは月給1300リラ(約4万8千円)の縫製工場で働く。アレッポには家族と婚約者(23)がいるが、今年からトルコ側の国境管理が厳しくなった。「シリアへ行けば、おそらく二度とトルコへ戻れない。婚約者に来てもらう方法もない。人生に絶望しそうになる」
ヤヒアさん(21)は15年5月、兵役を逃れて来た。「殺されるのは嫌だ。でもそれ以上に、私は人を殺すことはできない」
アレッポでは服飾専門学校で女性服のデザインを学んだ。イスタンブールで働き、金がたまったらギリシャを経由して欧州に渡る予定だった。
しかし、トルコと欧州連合(EU)は3月、ギリシャに渡った難民らをトルコに送還することで合意。渡欧が難しくなった。「どうすればいいか分からない。私には未来がない」と嘆いた。(イスタンブール=春日芳晃)