すずめの湯の無事を確認した4月30日の帰り道、回り道の牧草地で河津さん兄弟と息子と従業員ら。誠さんは「地獄を守り隊」と名付けた=熊本県南阿蘇村河陽、河津誠さん提供
江戸時代から続く熊本県南阿蘇村の地獄温泉。湯治宿の「清風荘」は、4月16日の本震で建物が損壊し、宿への道路も崩落、休業に追い込まれた。宿を切り盛りしてきたのは3兄弟。被害は深刻だが、復興に向けて奮闘を続けている。なじみの客たちの熱いエールが背中を押す。
特集:熊本地震
■軌道に乗った矢先
河津家の次男謙二さん(52)=副社長兼経理担当=と三男の進さん(50)=専務兼調理担当=が、宿の周りで黙々と草刈りをしていた。長男の誠さん(54)=社長兼調理担当=は「動いていないと心が折れる」。
3人は、米国でホテル経営を学んだり、兵庫や京都で料理修業を積んだりした後、村に戻り、6年前に亡くなった父威(たけし)さんの後を継いだ。九州北部豪雨や阿蘇山噴火の風評被害などで苦しんだ時もあったが、徐々に回復し「先が明るくなってきた」と話していた矢先、熊本地震が襲った。
激しい揺れの直後、誠さんは、開かなくなった玄関の扉を蹴破り、宿泊客を駐車場に避難させた。真っ暗な中、どこかの山が崩れるカラカラという甲高い音がした。地面はひび割れ、窓が外れていた。半日以上経って救助に来た自衛隊のヘリで搬送されながら、誠さんは「絶対帰ってくるからなー」と叫んだ。
■お湯は待っていた
地獄温泉は1808年(文化5年)ごろにできた湯治場とされる。白濁した湯が人気で、年間5万人以上訪れる。だが、温泉へ続く道路は崩落し、別の道も土砂崩れで通れなくなって孤立した。3人は、避難所から何日も通って別の行き方を探し、4月30日、ようやく車と徒歩でたどり着いた。
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