ラジオや舞台での共演など、公私ともに永六輔さんと親交が深かった毒蝮三太夫さん(80)は、「大きな昭和の火が消えたと感じるね」と話す。
永六輔さん死去 放送界の草分け、マルチに活躍
特集:永六輔さん死去
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最後に顔を合わせたのは、2カ月ほど前。都内の病院に入院していた永さんを見舞った。「ずいぶん弱っててね。おれのこと、わかってくれたとは思うんだけどなあ」。病状が悪化する前、永さんは会うたびに、「これが最後になるかもな」「おれは病人なんだから」とふざけていたので、その冗談も口にできない姿を見て、覚悟はしていたという。
1970年代に、ラジオ番組で共演して出会った。互いに江戸っ子で、気が合った。「おれがげたを履いて、ベーゴマや剣玉をやる下町の悪ガキなら、永さんは靴にランドセル背負って学校に通う二枚目のエリート。山の手のにおいがするんだな。だって、歌詞にしても、本にしても品がいいでしょ」と振り返る。「自分にないものを持っているから、おれを気に入ってくれたんだと思うよ」
永さんと同じく、毒蝮さんもラジオ出演を長年続けている。「先駆者としての永さんから学ぶことは多かった」という。「ラジオは、横丁のメディアなんだ。かっぽう着のおばさんに話を聞くような、誰とでも話をしてしまうスタイルは永さんに教わったな」「人が目をつけないところに目をつける。永さんは、表でなく、脇から、勝手口から入っていくんだ」
3人一緒に仲が良かった立川談志も、先に旅立った。「談志と永さんがいて、あの世がにぎやかでいいんじゃないの? 往復切符がもらえるなら見てきたいよ。そういう意味で、昭和は、あの世で輝いているね。昭和を語る人が少なくなっているから、おれも元気で語っていかなきゃと思うね、永さんの遺産をね」