審判控室に置かれた中西優平さんの写真=大津市の皇子山球場
滋賀大会は27日、決勝。「野球が好きだ! 大好きだ!!」。熱戦が続いた皇子山、県立彦根両球場の審判控室に、水色ポロシャツの審判姿の男性の写真と野球に対するメッセージが載ったボードが飾られてきた。
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中西優平さん(享年33)。安曇川(滋賀)で野球部に。卒業後、伝統産業・扇骨(せんこつ)(扇子の骨組み)作りの家業を継ぎながら、時間の許す限り高校野球の練習試合や公式戦の審判に出かけた。今春の滋賀県大会でも審判を担当。身長184センチ、体重約100キロの体でこの夏もグラウンドに立つはずだった。5月末、自宅で不調を訴え、病院に向かったが、そのまま帰らぬ人となった。脳梗塞(こうそく)だった。
父の幸夫さん(66)は、通夜に県内中から審判や高野連関係者、監督、選手ら100人以上が訪れて驚いた。「人前で話すのが苦手だった息子が、こんなにたくさんの人と関係を築いていたなんて」
多忙なときでも「審判ができなかったら、死んだ方がまし」と言うほど入れ込んだ。土日は毎週のように練習試合へ。朝4時半に起きて出かけることもあった。母の寿乃さん(58)は優平さんの最後の服装に審判のポロシャツを選んで送り出した。「あっちでも野球をしていると思います」
高校時代に中西さんを指導した横木勝・元県高野連会長は「隅の方にいて、にこにこしている子やった」と振り返る。一塁手だったが、定位置を激しく競うというより野球が好きでチームにいるような雰囲気があったという。大きな体を揺らして審判をする姿に「よくやっていた。夏の大会は毎年楽しみにしていたはず。残念だ」と悔しがる。
審判の先輩の磯辺隆一さん(41)は「判定するのに最も見やすく、邪魔にならない場所に入るのがうまかった。声や動作に、選手や観客を納得させる表現力があった」と評する。
高校卒業後、「審判になりたい」と相談にきた中西さんを「高校野球の審判は選手の競技人生の最後を預かることもある。甘い世界ではない」と一度は追い返した。1年経って再び「やりたい」と言ってきたときに、強い思いを感じて受け入れた。普段は無口だが、野球のことを話し出すと止まらなかった。「立ち位置が違ったんじゃないですか?」。担当外の試合も観戦して先輩と審判論を交わし、かわいがられた。
控室のボードの言葉は2007年の審判部発足20周年の記念冊子に中西さんが残したもの。「僕は野球バカだ。野球から離れる生活なんか考えられない。野球は僕にとって大切なもの。宝物」
磯辺さんは「悲しいというより、野球にかかわることができなくなってかわいそう。へまをすると『あかんですやん』とあいつが笑うような気がする。へたな審判はできない」。(杉浦奈実)