練習の中でダッシュをする京都翔英の石原彪君=5日、京都府宇治市
夏の甲子園初出場の京都翔英を引っ張ったのが、高校通算42本塁打を放っている捕手の石原彪(つよし)君(3年)だ。169センチ、87キロのがっちりした体形と豪快な打撃からついた愛称は「京都のドカベン」。チームは10日の大会第4日第2試合で樟南(鹿児島)戦に臨んだが、1―9で敗れた。
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石原君は中学時代、U15(15歳以下)日本代表に選ばれ、4番に座った。進学した京都翔英でも1年夏から4番を務めたが、当時は「絶対、甲子園に行きたいとは思っていなかった」。
大きく意識が変わったのは1年秋の府大会だった。その年春の選抜大会で優勝した左腕・高橋奎二(けいじ)投手(現ヤクルト)に石原君は全く歯が立たず、チームは龍谷大平安に2―8で敗れた。
「負けるってこんなに悔しいんだ」。ショックのあまり1週間ほどバットを持てなかった。でも、この経験を経て、強豪校が集まる甲子園に行ってみたいと思い始めた。強い気持ちでバットを振り続けた。
昨秋からはチームの主将に。練習時間の大半を打撃練習に充てる「打」のチームは今夏の京都大会で快進撃を続けた。中でも石原君は打率4割7分8厘、チームトップの11打点。捕手としても二塁への送球は2秒を切るほどの強肩で京都大会は1人も盗塁を許さなかった。創部23年目で初となる優勝の立役者となった。
「ドカベン」という愛称が定着するようになったのは京都大会の途中からだ。当の本人は「デカい4番っていう意味ですかね?」。水島新司さんの漫画「ドカベン」はいまだに一度も読んだことがない。
最近はよく知らない愛称に少し戸惑っている。宿舎では食べ過ぎないよう気をつけたり、10分ほど自主的にランニングしたりダイエットにも挑戦中だ。
元祖「ドカベン」は1972~81年、週刊少年チャンピオンで連載。主人公の山田太郎は明訓高校の捕手で4番、甲子園で本塁打を重ねた。甲子園の「ドカベン」といえば、1979年に大阪・浪商(現・大体大浪商)で活躍した香川伸行さん(享年52)がいる。漫画から飛び出したような愛くるしい巨体で甲子園では春に準優勝、夏は3本塁打を放ち、観客をわかせた。
石原君は今大会、その香川さんも成し遂げられなかった「全国制覇」を目標に据えた。この日「チャンスで1本打つ」と意気込み、二塁打2本を放つなど活躍したが、初戦で姿を消した。「みんなで甲子園で戦えて最高でした」(五月女菜穂)