部隊の法要でお経をあげる三浦秀元さん=7月31日、長崎市筑後町
戦時中、フィリピン・ルソン島に向かい、海やジャングルで多くの犠牲を出した部隊がある。その兵士たちのために、生き残った元日本兵や遺族が遺骨収集や慰霊の旅を続けた。その旅に同行した住職は、戦後71年の今も、長崎市の寺で一人きりの慰霊の法要を続けている。
長崎市の福済寺。住職三浦秀元(しゅうげん)さん(66)が7月31日、本堂でお経をあげた。「皆さんのおかげで生活できています」「二度と戦争はしてはいけない」。感謝と不戦の願いを込めた。
「第152飛行場大隊」の戦死者たちのための法要。7月31日は、隊員の乗っていた船が撃沈された日だ。生き残った一人、長崎市の高谷千治さん(1997年に91歳で死去)が中心になって元日本兵や遺族の会ができ、法要を始めた。94年には、境内に700人を超える隊の戦死者の名が刻まれた慰霊碑を建てた。
高谷さんの次男信(まこと)さん(78)の元には高谷さんの手記が残る。80年ごろに書かれたとみられ、原稿用紙約70枚に、部隊を襲った惨劇が克明に記されている。
手記によると、部隊は44年7月11日に門司港(北九州市)を出て、フィリピンへ向かった。別の部隊とともに台湾とルソン島との間にあるバシー海峡を通っていた7月31日未明に魚雷が命中。海に飛び込むと、船が真っ二つに折れて沈むのが見えた。沈没で部隊長ら大半が命を落とした。
《暗黒の海に投げ出された数萬…