由実さんの遺影の前で弔問客と話す母親の河添登志子さん=13日、熊本県益城町、小宮路勝撮影
熊本地震の前震から14日で4カ月となった。犠牲になった人の遺族は、初盆を迎えた。少しずつ戻ってくる日常。ただ大切な人だけがそこにはいない――。在りし日をしのびながら手を合わせた。
特集:熊本地震
熊本県益城(ましき)町の河添由実さん(当時28)の遺族は14日、仏壇前で住職にお経をあげてもらい、すしや馬刺しを親族と一緒に囲んだ。母登志子さん(57)は前日には、届いた花を仏前に供え、「由実ちゃん、良かったね、お花畑におるみたいやね」と遺影に語りかけた。
由実さんは4月16日、本震で倒壊した自宅の下敷きになり亡くなった。自宅は解体して更地となり、登志子さんたちは隣にあった小屋を改修して住んでいる。故人が家まで迷わぬようにともす盆ちょうちんは「由実はのんびり屋やけん、はよ気づいてもらわんと」と、盆入り前に掲げた。
遺体を火葬したのは登志子さんの誕生日の4月18日。骨つぼを抱きながら「これは夢。いつか目覚める」と思っていた。日が経つにつれて、崩れた家々や道路は少しずつ修復されていく。でも、その風景に、娘だけが戻ってこない。
すぐれぬ体調を押して毎日午前3時半に起き、朝食を無理やり口に詰め込んでスイカ畑へ向かう。出かける前、振り袖姿で優しくほほえむ由実さんの遺影に手を合わせる。成人式に合わせて撮った20歳の時の写真だ。「最初の2カ月はこの笑顔が悲しかったのに、今はつい自分もつられて笑ってしまう」。笑うと体調もよくなるように感じる。「あの子の笑顔を撮っていて良かった」
最近ようやく、思い出話もできるようになった。でも同時に、悔恨の情にもさいなまれる。
あの日、がれきをかき分けて触れた由実さんの顔はまだ温かかったのに、脈はもう感じられず、周囲から「危ない」と言われ、離れた。挟まった髪の毛を切れば引き出しやすかったかもしれないのに、「大事に伸ばしていたから」とためらった。人工呼吸や心臓マッサージをしてやればよかった……。「もっとあきらめの悪い親であるべきだったと今は思うんです」
まだ一度も由実さんの夢を見たことがない。「何でか出て来てくれんのよね」。もし夢で会えたら。「何も言わんと、抱っこして、つかまえとかんといかんね」(柴田菜々子)