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野球はほんまに楽しい、けがせんとやろうや 福本豊さん

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2016-8-18 17:05:59  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


観戦する福本豊さん=17日午後、阪神甲子園球場、杉本康弘撮影


■甲子園観戦記


動画もニュースも「バーチャル高校野球」


甲子園にはしょっちゅう来てるよ。プロの試合を見に。解説者は標準語やないとあかんと思って、最初はやってみた。あかんわ。標準語に“翻訳”するんに時間がかかる。プロデューサーが「大阪弁でよろしいがな」って言ってくれて、気が楽になったわなあ。


花咲徳栄の千丸君は身長165センチ。僕も170センチないから、親近感わくわ。三回表の打席で、右へ大ファウル。腰からクイッと回って、コンパクトにスイング。チビでもこうやって打ったら飛ぶねん。僕は通算2543安打のうちホームランが208本。これが一番の自慢ですわ。盗塁はおまけみたいなもん。チビでもバットの芯に当てれば飛ぶ。野球は力やないことの証明や。それがうれしい。


甲子園にはね、忘れられへん思い出がある。僕は大鉄高校3年の夏に出たんです。1番センターでした。1回戦の相手は秋田。3―3の延長十三回裏、向こうの攻撃や。ツーアウト三塁で、打球はフラフラと二塁ベース後方に。それをセカンドとお見合いして……。ポテンヒットでサヨナラ負けや。悔しいの通り越して、涙も出んかった。あれがあったから、前の打球への意識はだいぶ強くなった。甲子園が教えてくれたんやろね。


1969年から20年間、阪急ブレーブスの選手でした。いまのオリックスやね。プロ2年目から13年連続で盗塁王になって、盗塁の世界記録を持ってた時期もあったから、「世界の盗塁王」やなんて言われましたけど、幼いころからしたら夢みたいな話ですわ。


チビやったから、中学ではずっと補欠。初めて試合に出たのが3年の夏やった。野球の強い大鉄に進んだのも、おやじに「これからは自動車の時代になるから、大鉄の自動車コースはどうや」と言われたから。どうせ補欠やから、最初は野球部に入らんかった。


でもヒマやし、やっぱり野球は好きやしね。1週間後に入った。朝練で打ってたら、監督が「ミートうまいな」って。野球で褒められたのは初めて。うれしかったなあ。あれがすべての始まりやった。誰でもちょっとしたことで変わる。ほんまに実感してます。


高校生には「防げるけがはするな」って言いたいな。アウトは1個、けがは一生や。最後のバッターが一塁に頭から飛び込むやん。僕はあれ、反対やなあ。その一回で終わりやったらええけど、野球は続いていくやろ? 肩でも大けがしたら、おもろないで。野球はほんまに楽しい。けがしたら、楽しまれへんやん。けがせんようにやろうや。(構成・篠原大輔)



ふくもと・ゆたか 元プロ野球選手。1947年、大阪府生まれ。松下電器から68年秋のドラフト7位で阪急へ。通算1065盗塁、72年の106盗塁はプロ野球記録。朝日放送解説者、スポーツ報知評論家。




 

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