金村義明さん=小川智撮影
■甲子園観戦記
動画もニュースも「バーチャル高校野球」
夏の甲子園の色は白なんや。真っ白。白い服のお客さんが多いからな。俺も純白のポロシャツ着てきた。俺が出たときは母親が毎回、真っ赤な服でアルプススタンドで応援してくれてな。そらもう目立つ、目立つ。懐かしいわ。
甲子園で高校野球を見るのは6年前の夏以来。母校の報徳学園が俺ら以来で準決勝までいったんや。アルプスで当時の校長たちと応援した。気温50度ぐらいあったんちゃう? ガブガブ水飲んだ。
決勝をナマで見るのは初めて。北海には親近感がわく。戦うたびに強なった。1981年の俺らもそう。エース大西君は準決勝まで4試合を一人で投げてきた。俺は兵庫大会初戦から、甲子園の決勝まで13試合全部やったけどな。打ちやすそうで打たれへん球を投げるのも似てる。体格も面構えもエエがな。女の子にモテるやろな。まあ、俺もだいぶモテたわ。
おっ、作新学院の今井君もエエ素材や。細身で力感はないけど、バネで投げるタイプ。フォームにムダがないから、球速が150キロ超える。しかし、二人ともヘロヘロやと思うで。地球温暖化で、俺らのころよりだいぶ暑いからな。
あのときは俺も激ヤセした。どんどん体重が減ってガリガリや。当時の報徳は甲子園で試合が終わると、学校の寮に戻った。決勝前日は寮の夕食に、「明日は勝つ」言うて作ってくれたトンカツが出た。暑さで食欲ないから油もんは食えん。俺は母親を呼んで、焼き肉店に連れていってもろたんや。焼き肉とドジョウ汁に高麗にんじん。おかげでパワー復活して、決勝に突入できたわ。
京都商業との決勝で忘れられへんのが、1―0の八回の攻撃や。フォアボールで一塁ベースにおったら、相手がタイムでマウンドに集まった。バッターの西原と目が合ったんや。小さいジェスチャーで「俺走るから、お前打て」と知らせてエンドランを仕掛けた。そしたら、ライト前ヒットをライトが後逸して2点目のホームを踏めた。これが大きかったな。投げる球も守備位置も全部俺が指示出してた。とんでもない高校生やろ?
大西君、四回途中でマウンド降りてもうたがな。体力の限界なんやろ。ほんで、最後までマウンドに立ってたのが、今井君。全国制覇を決めてガッツポーズ。俺も天にも昇る気持ちで、両腕を突き上げてガニ股でジャンプしたな。
甲子園の真っ白なスタンド見て、原点に戻った気がするわ。大西君や今井君もいつか、そう思うんやろね。(構成・福角元伸)
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かねむら・よしあき 元プロ野球選手。1963年、兵庫県生まれ。81年夏に報徳学園のエースで甲子園優勝。同年のドラフト1位で近鉄入団。野手に転向し、中日、西武と18年間プレー。スポーツ報知評論家。