試合終了後、スタンドへあいさつをする作新学院の選手たち=21日、阪神甲子園球場、高橋雄大撮影
快速球右腕と強力打線で、栃木代表の作新学院が54年ぶりに甲子園を制覇した。強さの裏には、レギュラー選手と控え選手、スタンドの応援が一体となって戦う輪があった。
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作新学院は、1962年に史上初の春夏連覇を達成して以来の全国制覇。アルプススタンドでは当時の選手らが後輩の雄姿に喜びの涙を浮かべた。
54年前の決勝は1―0。急病に倒れたエースに代わって控えの加藤斌(たけし)さんが完封した。七回に決勝打を放った当時の主将・中野孝征さん(72)と、二塁手で活躍した佐山和夫さん(71)が声援を送った。
2人は後輩の好守や四回の集中打の逆転に歓声をあげながら応援。佐山さんは、「打線は自分たちの頃よりも断然、力がある」。優勝を決め、「最高の気分。選手たちにありがとうと言いたい」と涙をこらえた。中野さんは、「優勝旗の重さを今も覚えている」と選手たちを見つめた。
加藤さんは卒業後にプロ野球に進んだが、65年に交通事故で亡くなった。2人は「彼にもこの光景を見せてやりたかった。喜んでいると思う」と語った。(野村陽彦)
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〈作新学院OB・江川卓さん〉 「54年前の春夏連覇以来で、私たちも達成できなかった優勝。いいところまでいくとは思っていたが、本当に素晴らしいです。エースの今井君はスピードがあり、スライダーもよい投手で将来性もあると思う」
■「こんな最高なチームはない」 六回裏のピンチに伝令・藤沼竜矢君
優勝が決まった瞬間、作新学院のベンチにいた藤沼竜矢君(3年)は真っ先に飛び出した。マウンドに集まる仲間の中で、テープでぐるぐる巻きにしている右腕をひときわ高く上げ、人さし指を立てた。
「やっとみんなの輪の中に入れてうれしかった。最高の気分だった」
栃木大会の決勝。5番三塁手で先発。六回、ファウルボールを追ってフェンスに激突し、右腕を骨折した。救急車で病院に運ばれたため、閉会式に出られなかった。
チームは勝って甲子園に出られても、自分は出場できない。病室で泣いていると、仲間たちが見舞いにやってきた。小針崇宏監督が「今から閉会式をやるぞ」と言った。「ナイスプレー」。ベッドで横になる藤沼君の首に栃木大会の優勝メダルをかけた。
甲子園のベンチ入りメンバーが発表された先月29日、左翼手の碇大誠君(3年)から病室にいる藤沼君に通信アプリ「LINE(ライン)」でメッセージが届いた。「メンバー入りおめでとう。出られない分、俺が打つから。甲子園でも一緒に頑張ろう」。信じられなかった。
小針監督は「試合には出られなくても必要な戦力。甲子園という緊張感ある中で雰囲気よく盛り上げてくれる」と話す。山本拳輝主将(3年)は「藤沼のプレーでチームの意識が変わった。あいつが出られない分、一人ひとりが考えてプレーするようになった」という。
この日の決勝。六回裏1死一、二塁のピンチに、マウンドに内野陣が集まった。ベンチから伝令の藤沼君が駆け寄った。「この場を楽しんでいこう」。みんながうなずいた。
甲子園の閉会式では、仲間と一緒に優勝メダルをかけてもらった。「こんな最高なチームはない」。藤沼君は目を潤ませた。(吉田貴司)
■足で奪った追加点 鈴木萌斗君
50メートル走は6秒0。作新学院で一番足の速い鈴木が、その足で追加点を奪った。五回無死、バント安打で出塁。続く篠崎の右前安打で三塁へ進むと、圧巻はその後だ。1死二、三塁から今井がワンバウンドの球を振って三振。捕手が球を止めて一塁へ投げる間に本塁へダッシュし、生還した。四回の守備ではダイビングキャッチも見せた背番号16の2年生は「やってやろうという気持ちだけでした」。