您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> 社会(日语) >> 正文

真田昌幸・信之父子が「再会」 仏教・神道の垣根越え

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2016-12-12 8:47:27  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


上田市立博物館から真田神社に向かう厨子(ずし)に入った真田信之の位牌=上田城跡公園


写真・図版


写真・図版


写真・図版


写真・図版


戦国武将・真田昌幸、信之父子が2日、長野県上田市の真田神社で約400年ぶりに「再会」した。同市武石地区の寺で見つかった信之の位牌(いはい)が、上田城跡公園にある昌幸ら歴代上田城主や信之の弟・信繁(幸村)たちを祀(まつ)る真田神社にお練り供養をし、神社の拝殿で「父子再会の神事」が執り行われた。


特集:真田太平記


「再会」を発案したのは同市下武石の正念寺の奥寺浩司住職(38)。昨年2月に寺の本堂内陣裏の納戸から信之の位牌が見つかった。


父子再会のきっかけは、真田神社がある同公園内の市立博物館で10月から始まった位牌の特別展示だった。奥寺住職は「せっかく位牌が近くの博物館に来ていて、信之公の魂が宿っている位牌なので、ぜひともお父さんと弟さんに再会させたいと思った」と話す。奥寺住職の提案に神社側も協力し、仏教と神道の垣根を越えて「父子再会の神事」が決まった。


この日、位牌は奥寺住職の胸に抱かれ、観光客らが見守る中、雅楽の音とともに博物館からお練り行列をし、約280メートル先の真田神社に到着。拝殿には正念寺や真田神社の関係者ら約40人が集まり、今井正昭宮司が再会に至った経緯などにふれた祝詞(のりと)をあげた。関ケ原の戦いに際し、昌幸・信繁と信之がそれぞれ西軍と東軍に別離した「犬伏の別れ」から、約400年ぶりの再会となった。


奥寺住職は「悠久の時を経て御霊が再会を果たせた。感激しています。(信之も)こちらの御柱(昌幸)と一つになって、父子再会の儀という形で神事が行われ、とてもうれしく思っているのではないでしょうか」。一方、今井宮司は「非常にありがたい。(昌幸も)離ればなれになっていたが、再会できたのはうれしいこと。魂同士がお会いできるまたとない機会だったと思う」と、父子の再会を喜んだ。(鈴木基顕)




 

新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇新闻:

  • 下一篇新闻:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    注册高达赢取大奖!

    09年2月《贯通日本语》杂志

    《问题餐厅》聚焦女性话题 焦俊

    日本第11届声优大奖结果揭晓 演

    东野圭吾作品《拉普拉斯的魔女

    松岛菜菜子裙装造型 “美到令人

    广告

    广告