谷川俊太郎さん=東京都杉並区、時津剛撮影
■文豪の朗読
《谷川俊太郎が読む「理想的な詩の初歩的な説明」「かっぱ」 江國香織が聴く》
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すっきりした声による、明晰(めいせき)な朗読。声が言葉と一体化している。無駄なものが何もないのがおもしろい。“理想的な詩の初歩的な説明”という、いかにも谷川俊太郎的な題名の詩のなかに、「詩はなんというか夜の稲光(いなびか)りにでもたとえるしかなくて/そのほんの一瞬ぼくは見て聞いて嗅ぐ/意識のほころびを通してその向こうにひろがる世界を」という一節があるのだが、この詩人の朗読を通して、私たちもまた、それぞれの詩を見て聞いて嗅げてしまう。これはとても稀有(けう)なことだ。なぜなら、普通、肉声には逡巡(しゅんじゅん)や含羞(はにか)みや体温や感情が混ざるからで、それはそれで貴重ではあるにしても、文字だけでできた詩や小説そのものにとってはやはり余分なものだからだ。でもこの詩人の場合、その余分がない。肉声に、逡巡も含羞みも体温も感情も混ぜずに発音している。すごい。そんなことができるものだろうか。もしかすると、この人は普段「ネリリし」たり「キルルし」たり「ハララし」たりしている宇宙人なのかもしれない。あるいは、詩人というのはそもそも「もの言わぬ一輪の野花」だから、逡巡も含羞みも体温も感情も持たないのかもしれない。
というわけで、一編ごとに(た…