初訪米で首脳会談を終え、レーガン大統領と握手する中曽根康弘首相=1983年1月18日、ホワイトハウス
「ロン・ヤス関係」で知られた中曽根康弘首相とレーガン米大統領が1983年1月に行った初めての首脳会談の詳細な内容が、12日に公開された外交文書から明らかになった。中曽根氏が日本の防衛強化の方針を詳細に伝えていた。さらに会談に先立つ米紙の取材では、防衛費のGNP(国民総生産)1%枠を突破する決意を示していたこともわかった。
日米間では当時、米ソ対立の再燃と貿易摩擦のあおりで日本の防衛負担増が懸案だった。中曽根氏は就任後初の訪米で、防衛強化を求める米側の意向に沿った考えを表明。レーガン氏との「蜜月」の土台となる関係を築いた様子が、文書から浮き彫りになった。
中曽根氏は首脳会談で「(日本周辺の)四海峡を完全にコントロールし有事にソ連の潜水艦を日本海に閉じ込める」「ソ連の(爆撃機)バックファイアーの日本列島浸透を許さない」と発言。有事に来援する米軍艦や日本への商船を守る「シーレーン(海上交通路)確保」も強調し「防衛体系を整備したい」と述べた。
この3点は78年に初めて策定した日米防衛協力の指針(ガイドライン)をふまえたもので、外務省は首相発言を「取扱厳重注意」とし、「国内へのはねかえりを考慮」して当時の記者団に説明しなかった。同省への文書開示請求に対しても昨年まで伏せていた。
一方、今回の文書公開で、会談に先立つワシントン・ポスト紙朝食会での中曽根氏の発言記録も明らかになった。それによると、日本の防衛強化をめぐって「防衛費が対GNP比1%を来年にも超えよう。日本の国際的役割を考えればやらざるを得ず、国民に心の準備をしてもらう」と「オフレコ」で強調していた。
中曽根内閣では、日本海の海峡封鎖を含むシーレーン防衛の日米共同研究結果が86年にまとまり、現在も主力の自衛隊の兵器増強を後押し。87年度予算で防衛費GNP1%枠を突破し、中曽根氏は最初の訪米での「公約」を果たした格好になっている。(藤田直央)