明治30年代の竹島でのアシカ漁を記した資料(島根県竹島対策室提供)
島根県は17日、1905(明治38)年に同県に編入される前の竹島で、日本人のアシカ漁が記された文書が見つかったと発表した。竹島は日韓両国が領有権を主張している。編入前の竹島での漁業の記録はこれまでにもあるが、今回の資料はより詳しく、県の担当者は「日本人による竹島漁業の具体像が明らかになる貴重な資料」としている。
県竹島対策室によると、資料は隠岐の島町久見に住んでいた八幡才太郎(1889~1979)が自身の来歴などを記録した「家系永代記録 板屋」(板屋は八幡家の屋号)。八幡は生前、当時の村の収入役や議員を務めた。昨年9月、八幡の孫が資料を持っていると、親戚から町に連絡があったという。
資料では、八幡の親戚で竹島でアシカ漁を始めたとされる石橋松太郎(1863~1941)が「明治三十年頃にランコ島(竹島)にメチ(アシカ)取りに人を雇って行きました」と記録。アシカを火縄銃で仕留め、皮を塩漬けにして油をとって大阪方面へ送ったとも記す。竹島から戻る度に、石橋は肉や魚、貝類で酒盛りをしたという。
県によると、八幡は1977年に当時の福田赳夫首相に送った直訴状で石橋のアシカ漁を記したが、今回の資料は実態がより分かる。内容は県が所蔵する記録や町での聞き取り調査の結果などとも整合性がつくという。町は昨年6月オープンした「久見竹島歴史館」での資料のコピーの展示を検討しているという。(石川達也)