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福島・浪江で家庭菜園、お裾分けする相手もいない

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2017-3-31 13:52:00  点击:  切换到繁體中文

 

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町の目抜き通りに立つ岸真さん。町一番のお祭りだった「十日市」の際には歩行者天国になり、人であふれた。今は「解体作業の音ばかりが聞こえて、通るのは作業車ばかりだ」=30日午後、福島県浪江町、福留庸友撮影


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日常の暮らしが消えてから6年余り。雲間から朝日が差した31日、避難指示が解除された福島県浪江町の中心街は、ひっそりと人の帰りを待っていた。


原発避難、3町村で解除 富岡は1日、計3.2万人


避難指示区域内の除染終了 福島11市町村、域外は遅れ


「朝一番で町を見に行ったけど、しーんとしてた」。元中学校長の岸真(まこと)さん(80)は、解除の朝を浪江の自宅で迎えた。


家に戻る準備のため、例外的に寝泊まりを認める制度を使い、半年前に避難先の栃木県から浪江町の自宅に戻った。隣町の南相馬市にも居を構え、行き来する毎日を送っている。


浪江町は1956年、四つの町村が合併して生まれた。事故当時は人口約2万人を擁する双葉郡最大の町だった。太平洋に面した請戸漁港に、阿武隈山地の高瀬川渓谷、ショッピングモールに繁華街。活気に満ちた町に原発はなかった。


それが、原発事故によって全町民が避難を余儀なくされた。沿岸部の漁村は津波で壊滅。町中心部の避難指示は解除されたが、町面積の8割は放射線量の高い帰還困難区域となり、この日の解除後も原則として立ち入れない。


「解除だなんて、信じられっか。がらがらだ」。解除前日の30日、目抜き通りの「新町通り」に立った岸さんが言った。


約400メートルにわたって続く通りは、左右に銀行やスーパーが立ち並んだ。秋には明治時代から続く祭り「十日市」が開かれた。3日間、歩行者天国となった道は、「袖が触れあう」ほどごった返した。


いま、通りに町民の姿はない。…




 

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