大好きなバラを抱える「サトウ花店」の佐藤勉社長=大阪市北区、小林一茂撮影
JR大阪駅の南側に広がる大阪市北区中之島は戦後、関西を代表するビジネス街になった。その変化を見つめてきた花屋がある。
フェスティバルシティOPEN
17日の朝、サトウ花店(はなみせ)社長の佐藤勉さん(73)は、先週の売上伝票を確認していた。中之島ダイビルに構える本店からは、この日開業した「中之島フェスティバルタワー・ウエスト」に入居する店舗にも、多くのお祝いの花を配達した。
「中之島も新しいビルが出来て、ようなってくれたらええですなぁ」
人事異動が多い年度替わりはかき入れ時だが、とくに今年の3月には、活気が戻ってきたことを感じた。1鉢5万円するコチョウランが数日で50鉢も売れた。1鉢あたりの単価もあがっている。
サトウ花店が中之島で創業したのは1928(昭和3)年。佐藤さんはその3代目の社長だ。
創業者の父、巍(たかし)さんはバラやランに魅せられ、「西日本初の洋花専門店」を掲げた。だが、最初は販路開拓に苦労の連続だった。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が、新大阪ホテル(現在のリーガロイヤルホテルの前身)に一時的に拠点を置くと、将校らの注文を受けようと、巍さんは和英辞典を手に営業に回ったという。
佐藤さんが店に立つようになったのは69年ごろ。高度経済成長に乗り、新しいオフィスビルの建設が相次ぎ、オフィスへの花の配達が増えた。フェスティバルホールでのコンサートなどで飾る、花の注文も多かった。
だが90年代、バブル景気が崩…