您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> スポーツ >> 正文

校歌が8番まである小学校 「死」「はりつけ」歌詞も

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2017-4-28 15:31:19  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


長野水神社の大祭で校歌を歌う江南小の4年生=福岡県うきは市吉井町


写真・図版


写真・図版


写真・図版


写真・図版


校歌が8番まである学校がある。農村に囲まれた福岡県うきは市の市立江南(えなみ)小学校。歌詞は、江戸時代の庄屋をたたえる内容で、明治後期に作られ、「死をもて誓いたる」「はりつけの刑罰」といった校歌らしからぬ文言もあるが、先人の遺訓として脈々と歌い継がれている。


校歌の歌詞は体育館のステージに向かって右側に1番から4番まで、左側に5番から8番までが分けて掲示されている。6日の始業式で、児童は右から左へ目線を動かしながら斉唱した。七五調の歌詞がリズムよく続き、2分20秒で歌い終わった。


元々は浮羽郡内唱歌として作られ、24番まである。そのうちの一部が校歌に採用された。前身の小学校から約140年の歴史があるが、いつ校歌になったのかは定かではない。鉄道唱歌の作詞者として名をはせた国文学者の大和田建樹(たけき)(1857~1910)が明治40年代に作詞。作曲は童謡「きんたろう」で知られる田村虎蔵(1873~1943)が手がけた。


歌詞には「五人の庄屋」が登場する。栗林次兵衛(夏梅村)▽本松平右衛門(清宗村)▽猪山作之丞(菅村)▽山下助左衛門(高田村)▽重富平左衛門(今竹村)で、江戸初期の寛文年間、水不足で苦しむ農民を見かね、筑後川からの導水を藩に願い出て、実現させた郷土の偉人だ。血判状を添え、失敗した場合は「はりつけの刑」も覚悟したと言い伝えられている。


五つの村は江南小の校区にあった。学校近くの長野水神社は5人の庄屋をまつっており、8日にあった大祭でも満開の桜のそばで4年生18人が校歌を高らかに歌った。金子将大(しょうた)君は「五庄屋を尊敬しています」。麻生絵理さんも「校歌は好き。5人はすばらしい人たちだと思う」と話した。


歌詞に学校名は出てこない。「死」や「刑罰」といった文言もあるが、江南小の松田清孝校長は「クレームは1回も聞いたことがない。学習を通じて意味を理解していく」と語る。校内に「五庄屋資料館」があり、児童が作った紙芝居や壁新聞などを展示する。田植えを控えた5月2日に学校の体育館である「五庄屋追遠会」も毎年の恒例行事で、献花をしたり、校歌を歌ったりしている。


元になった唱歌は歌われなくなったが、校歌は愛着を持たれて児童たちの心に宿る。(貞松慎二郎)


■福岡県うきは市立江南小学校の校歌


一 寛文初年の頃とかや


いでこの民を救わんと


慨然(がいぜん)死をもて誓いたる


この地に五人の庄屋あり


二 夏梅 清宗 菅(すげ) 高田


及び今竹 五か村の


庄屋はここに差し出(いだ)す


水道工事の請願書


三 水もし引くに来(きた)らずば


皆一同にはりつけの


刑罰その身に受くべしと


壮(さか)んなるかなこの事や


四 至誠は人を動かして


許しの下る村口に


早たてらるる仕置(しおき)台


見るに励まぬ人ぞなき


五 矢よりもはやき筑後川


さかまく波とたたかいて


岩切りうがち水をせく


その辛(しん)その苦そもいかに


六 百難万艱(ばんかん)排し得て


開きし長野と大石の


井堰(いぜき)に命を救わるる


田の面(も)は二千百余町


七 千古の偉業功成りて


下りし賞与の数々も


五人は辞して皆受けず


誰かは高義に泣かざらん


八 尊き歴史は我が村の


無窮のほまれ散らぬ花


みたまは永(なが)く祀(まつ)られて


守るか民の幸いを




 

新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇新闻:

  • 下一篇新闻: 没有了
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    注册高达赢取大奖!

    09年2月《贯通日本语》杂志

    龟梨和也《我的命运之人》热播

    千叶雄大主演《帝一之国》 成为

    日本研发能读取x光片的VR头盔 

    《与君相恋100次》有望引进国内

    广告

    广告