長野水神社の大祭で校歌を歌う江南小の4年生=福岡県うきは市吉井町
校歌が8番まである学校がある。農村に囲まれた福岡県うきは市の市立江南(えなみ)小学校。歌詞は、江戸時代の庄屋をたたえる内容で、明治後期に作られ、「死をもて誓いたる」「はりつけの刑罰」といった校歌らしからぬ文言もあるが、先人の遺訓として脈々と歌い継がれている。
校歌の歌詞は体育館のステージに向かって右側に1番から4番まで、左側に5番から8番までが分けて掲示されている。6日の始業式で、児童は右から左へ目線を動かしながら斉唱した。七五調の歌詞がリズムよく続き、2分20秒で歌い終わった。
元々は浮羽郡内唱歌として作られ、24番まである。そのうちの一部が校歌に採用された。前身の小学校から約140年の歴史があるが、いつ校歌になったのかは定かではない。鉄道唱歌の作詞者として名をはせた国文学者の大和田建樹(たけき)(1857~1910)が明治40年代に作詞。作曲は童謡「きんたろう」で知られる田村虎蔵(1873~1943)が手がけた。
歌詞には「五人の庄屋」が登場する。栗林次兵衛(夏梅村)▽本松平右衛門(清宗村)▽猪山作之丞(菅村)▽山下助左衛門(高田村)▽重富平左衛門(今竹村)で、江戸初期の寛文年間、水不足で苦しむ農民を見かね、筑後川からの導水を藩に願い出て、実現させた郷土の偉人だ。血判状を添え、失敗した場合は「はりつけの刑」も覚悟したと言い伝えられている。
五つの村は江南小の校区にあった。学校近くの長野水神社は5人の庄屋をまつっており、8日にあった大祭でも満開の桜のそばで4年生18人が校歌を高らかに歌った。金子将大(しょうた)君は「五庄屋を尊敬しています」。麻生絵理さんも「校歌は好き。5人はすばらしい人たちだと思う」と話した。
歌詞に学校名は出てこない。「死」や「刑罰」といった文言もあるが、江南小の松田清孝校長は「クレームは1回も聞いたことがない。学習を通じて意味を理解していく」と語る。校内に「五庄屋資料館」があり、児童が作った紙芝居や壁新聞などを展示する。田植えを控えた5月2日に学校の体育館である「五庄屋追遠会」も毎年の恒例行事で、献花をしたり、校歌を歌ったりしている。
元になった唱歌は歌われなくなったが、校歌は愛着を持たれて児童たちの心に宿る。(貞松慎二郎)
■福岡県うきは市立江南小学校の校歌
一 寛文初年の頃とかや
いでこの民を救わんと
慨然(がいぜん)死をもて誓いたる
この地に五人の庄屋あり
二 夏梅 清宗 菅(すげ) 高田
及び今竹 五か村の
庄屋はここに差し出(いだ)す
水道工事の請願書
三 水もし引くに来(きた)らずば
皆一同にはりつけの
刑罰その身に受くべしと
壮(さか)んなるかなこの事や
四 至誠は人を動かして
許しの下る村口に
早たてらるる仕置(しおき)台
見るに励まぬ人ぞなき
五 矢よりもはやき筑後川
さかまく波とたたかいて
岩切りうがち水をせく
その辛(しん)その苦そもいかに
六 百難万艱(ばんかん)排し得て
開きし長野と大石の
井堰(いぜき)に命を救わるる
田の面(も)は二千百余町
七 千古の偉業功成りて
下りし賞与の数々も
五人は辞して皆受けず
誰かは高義に泣かざらん
八 尊き歴史は我が村の
無窮のほまれ散らぬ花
みたまは永(なが)く祀(まつ)られて
守るか民の幸いを