小学生にベトナム語を教える木村美咲さん=大阪府八尾市
父親が難民でベトナム人として日本に生まれ、祖国の言葉を同じ境遇の子どもたちに教える日本人女性がいる。家族で難民と認定されたミャンマー人男性は今春から大学に通う。20日は「世界難民の日」。日本で生まれ育った2人は、自らのルーツと向き合う。
■ベトナムにルーツ「誇り」
「ヴ・アン・カァ・バ・ト・フォ」(ヴさんがフォーを3杯全部食べました)
17日、大阪府八尾市の公共施設であったベトナム語教室。先生で大阪国際大2年の木村美咲さん(20)が流暢(りゅうちょう)に話すと、子どもたちが声に出して続いた。
木村さんも、かつてこの教室で学んだ一人。約30人が登録し、この日は約10人の低学年が机に座った。
1975年のベトナム戦争終結後、インドシナ難民が大量に発生。船で脱出する人が多く、「ボートピープル」とも呼ばれた。日本政府は78年から、計約1万1千人の定住を許可した。八尾市はこうしたインドシナ難民が多く移り住んだ地域の一つ。今も千人以上のベトナム人が暮らす。JR八尾駅から東に約1・5キロほどの地域は、ベトナム語の看板を掲げたバイク修理店や食材店が点在する。
市内のベトナム人の小中学生は5月時点で137人で、ベトナムにルーツを持つ児童らはほかにもいる。ただ、母国語を話せない子どもたちも少なくなく、地元ではNPO法人による小中学生への教室が2004年から続いている。
木村さんの父は、小学生のときにボートで祖国ベトナムを脱出し、米軍に助けられて80年代に日本にやってきた。同郷の母と結婚し、日本で生まれた木村さんも小学生まではベトナムの名前だった。学校には他のベトナム人もいたが、「なぜ自分は日本人ではないの?」と思っていた。
中学生のとき、一家で日本国籍を取得。今の名前になった。でも、外出してベトナム語で家族と会話しているときの周囲の視線が嫌で、積極的にはルーツを明かさなかった。
国際教養科のある高校に進み、中国人や韓国人の同級生と接する中で、「ベトナム人に生まれて良かった」と誇りに思うようになった。
大学生になって、子どもたちにベトナム語を教える役を引き受けている。「子どもたちには、ベトナム人であることを生かせるようになってもらいたい」。将来はベトナムについて広く伝えられるよう、編集の仕事を志している。