四国の高松駅で1932(昭和7)年に販売された駅弁の掛け紙。「平家物語」に登場する弓の名手・那須与一(なすのよいち)が描かれている=同
駅弁のふたの上に、ひもでしばられている掛け紙。ほどけば箱と一緒に捨てられてしまうことが多いが、通信や情報網が発達していなかった時代には広告や観光案内の役目を果たしていたという。そんな掛け紙を1万枚以上集めた元JRマンが「駅弁掛紙の旅」(交通新聞社)を著した。
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東京都府中市に住む泉和夫さん(61)。「ただの紙かもしれないが、されど紙。掛け紙に印刷されている言葉やイラストを見ると歴史や時代背景、社会の空気や世相が浮かび上がってくる。まさに文化財です」。昨年11月に出版の話が決まり、400字詰め原稿用紙にして110枚書いたという。
中学生のとき、都内の百貨店で開かれた「駅弁大会」で全国にさまざまな駅弁があることを知り、掛け紙を集めるようになった。1975(昭和50)年、国鉄に就職。昨年、JR東日本を定年退職するまで主に広報畑を歩んできた。
「趣味は鉄道旅行。それも駅弁を食べ、掛け紙を集めるのが目的です」と泉さん。古書市や骨董(こっとう)市にも足を運び、掛け紙を収集。ネットオークションも活用してきたという。地域別や年代別にまとめたクリアファイルは200冊以上。「入手日や販売価格、コメントなどをこまめに記入してきました」と話す。
諸説あるが、通説では日本初の駅弁は宇都宮駅。握り飯2個とタクアンを竹の皮で包み、1885(明治18)年に販売したとされる。やがて姫路駅で販売された幕の内弁当が経木の箱を使うようになり、ふたの上には「御辨當(べんとう)」と書かれた紙がのっていたという。
地元の名所案内や乗客マナーを呼びかける役割も担った掛け紙。昭和に入り、戦時色が濃くなると「國(こく)民精神總(そう)動員」などのスローガンが印刷された掛け紙も登場し始めた。
泉さんによると、最近の駅弁は厚紙製の箱が多い。水に浸して印刷部分だけをはがし、しわを伸ばしてファイルにしているという。「1枚1枚大切に保管してきた成果が本になった。日本の鉄道文化の豊かさを多くの人に伝えたい」
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「駅弁掛紙の旅」は新書サイズで231ページ。北海道から九州まで路線ごとに分類、写真入りで解説している。戦時中の樺太や満州、台湾を走っていた鉄道の駅弁に関する紹介もある。税込み価格972円。(編集委員・小泉信一)