ナンダ・コートに登頂した立大隊(立大山岳部提供)
日本初のヒマラヤ遠征となる立教大学隊がインド北部の未踏峰ナンダ・コート(6867メートル)の初登頂に成功してから、81年。この秋、立大山岳部OBら5人が日本の登山史を塗り替えた先輩の足跡をたどろうと、再び同峰に挑むことになった。最大の目標は、頂上に埋まっていると伝わる立大の校旗、日の丸、当時支援を受けた大阪毎日新聞(現毎日新聞)の社旗を持ち帰ることだ。
紫色の立大旗が初めてヒマラヤではためいたのは、「二・二六事件」が起きた1936年(昭和11年)。世界の登山界の目が欧州アルプスからヒマラヤへと注がれつつある時代だった。京大や慶大なども計画を練っていたが、格下とも見られていた立大だけが戦前に登山隊を派遣した。
「女神ナンダを守る砦(とりで)」という意味のナンダ・コートは当時、複数回にわたって外国隊の挑戦を退けていた難峰だった。それでも、立大隊の6人は「欧州の氷河も知らないでヒマラヤへ行く」との批判を跳ね返し、四つの前進キャンプを経て、純国産の装備でアタック。頂上を踏んでみせた。隊員はその場でひれ伏して泣いたという。
今回の遠征隊が目指すのは、初登頂メンバーがハンマーとハーケンにくくりつけて山頂に残してきたという立大旗などを探し、取り戻すことだ。隊長を務める登山家の大蔵喜福(よしとみ)さん(66)は、81年前の偉業を「技術も資金も十分ではなかったけど、『ヒマラヤに登りたい』という若者の純粋な思いが詰まっていて、登山の本質そのもの」とし、この秋の挑戦について「旗を持ち帰ることで、創造性ある登山の再発見につなげたい」と語った。
初登ルートの北側からの登山許可が下りず、今回は1997年に英国隊が開いたという南面からの挑戦になる。9月中旬に日本を発ち、ベースキャンプから上に三つの前進キャンプを設けて、81年前と同じ、10月5日の登頂を目指す。(吉永岳央)