アメリカ杯に挑んだソフトバンク・チーム・ジャパン艇と、(左から)クルーの笠谷勇希、早福和彦総監督、クルーの吉田雄悟
2000年にニュージーランドに拠点を移してから、スペイン、英領バミューダ諸島と世界を渡り歩いてきた早福(そうふく)和彦(51)がこの8月、17年ぶりに日本に拠点を構える。「海上のF1」とも称される世界最高峰のヨットレース、第35回アメリカ杯(ア杯)で日本艇「ソフトバンク・チーム・ジャパン」の選手兼任総監督を務めたヨット界のレジェンドに、日本に戻る決断の理由を聞いた。
五輪より長い166年の歴史を持つア杯で、日本艇は今回、6月にあった挑戦艇決定シリーズの準決勝でスウェーデン艇に敗退。15年夏からバミューダに拠点を移した早福の2年間の挑戦は終わった。日米仏豪など計9カ国の総勢約60人近いチーム・ジャパンのスタッフを総監督としてまとめ、「結果には決して満足していないが、準決勝まで進めたことを誇りに思っている」。撤収作業が続くバミューダで、日本からの電話取材に対して話してくれた。
早福にとって今回が5度目のア杯だった。まだ日本の景気が良かった時代に、複数企業がスポンサーにつく「ニッポンチャレンジ」の名で挑んだ1995年と2000年。総額数十億円と言われた挑戦資金集めが困難となって日本が撤退した後は、米国チームの一員として03年と07年の大会にも出場した。ソフトバンクが単独のスポンサーに名乗りを上げた今回は、日本艇としてア杯への17年ぶりの挑戦だった。
早福は00年大会の開催地だったニュージーランドにそのまま移り住んだ後、ヨットマンとしての競技環境を考えてスペインに移住するなど、ずっと海外を転々としていた。この夏、スポンサーへのあいさつ回りなどもあることから、豪州人の妻と、10歳になる一人息子の善蔵くんと一緒に、17年ぶりに日本に戻る。「英語とスペイン語しか話せない息子も、これでようやく日本語を覚えてくれる」
日本を17年間も離れてまで挑戦し続けるア杯の魅力とは何なのか。「歴史と伝統のあるスケールの大きなレースで、世界を目指すロマンです。今回築けたチームワークを一度きりで終わらせるのはもったいない。日本人としては、やはりチーム・ジャパンで、日本艇で、次も挑戦したい」。第36回大会が開かれるのは、今のところ東京五輪直前の20年2月ごろの予定。熱い思いは、スポンサーであるソフトバンクの孫正義社長に届くか?(平井隆介)