避難所では、情報を求めて新聞を読む人たちがいた=8日午前7時8分、福岡県朝倉市杷木池田の杷木中学校、福岡亜純撮影
避難所で過ごす被災者には疲れや不安が広がっている。
福岡県朝倉市内でも被害が大きい地域にある杷木(はき)中学校体育館では、195人が避難生活を送る。間仕切りはなく、マットや畳の上で横になる。
自宅と車が約1メートル冠水したという松岡サチエさん(78)は6日昼、知人宅から避難所に来た。避難所の食事は当初、おにぎりやパンが中心だったが、8日の朝食は炊き出しのちゃんこ鍋。「温かいものはうれしかった」。寝ている時の周りの話し声が気になるが、「苦しんでいる人ばかり。どうこうは言えないです」と我慢する。
持病の高血圧の薬は家から持ち出したが、腰やひざに貼る湿布は忘れてしまった。「何とかしないと」と不安を抱く。
藪内恵美さん(80)は、朝目覚めるたびに「上下水道の復旧のめどが立たない自宅のことを思い出し、気が重くなる」。エコノミークラス症候群対策に、携帯電話の歩数計を使い、周辺を1日4500歩ほど歩いているという。
男性(75)は「とにかくお風呂に入りたい」。避難所のボードには無料の入浴施設のリストが貼られているが、送迎はまだ準備中だ。「車が水につかって身動きが取れず、施設まで行く足がない」とこぼす。
朝倉市杷木池田の公共施設「らくゆう館」に身を寄せる日隈伸次さん(71)は6日朝、自衛隊員に連れられて避難した。ただ、大型の扇風機の「ゴーッ」という音が大雨のように聞こえ、寝られなかったという。7日には小さな部屋に家族6人で移った。
自宅は土砂に囲まれ、すぐには戻れない。集落全体が土砂にのまれ、流された家もある。「家がなくならなかったからまだいいが、炊事もトイレもできない。土砂はとても1人で動かせないし、帰ってからどげんすればいいのか……」と不安そうな表情を浮かべた。(浅野秋生、稲垣千駿、岩田智博)