OB戦で突破を図る能代工の選手=秋田県能代市の同高体育館
「臥薪嘗胆」。28日に始まる全国高校総体に2年ぶりに出場する能代工(秋田)の体育館のホワイトボードには、今、青い字でこう書かれている。1年前、栄田直宏監督(47)が伝えた言葉を部員が「いつも見られるように」と書き記したものだ。
2016年6月7日、秋田県高校総体決勝。両手を突き上げ、飛び上がって喜ぶ平成の選手たちを尻目に、能代工の選手たちは腰に手をやり、ぼうぜんとその光景を見つめていた。68―100。1969年から続いていた県大会の連覇が「47」で止まった瞬間だった。
当時コートに立っていた児玉海渡(3年)は「悔しすぎて、ほとんど覚えていない」。スタンドからは「ちゃんと練習してんのか!」とヤジが飛んだ。「恥ずかしくて、その場にいたくなかった」とある部員は振り返る。
一つの時代が終わった――。県大会での敗退はすぐに広がり、全国ニュースになった。46連覇していた全国高校選抜優勝大会(ウインターカップ)秋田県予選でも初めて全国大会出場を逃し、能代工は1年間、全国の舞台から姿を消した。
「勝ってるときはかっこいいけど、負けると重くのしかかる。それが『必勝不敗』なんです」。15年に就任した、OBでもある栄田監督はいう。
四十数年前から試合のときに掲げられる「必勝不敗」の横断幕は伝統の象徴だ。だが、田臥勇太(栃木)らを擁し、高校総体、国体、選抜大会の全国タイトルを3年連続で制したのは1998年。00年代に入ってからは私立校の外国人留学生の高さとパワーに苦戦し、高校総体では07年を最後に優勝していない。
「負けたら全てがダメか、というとそんなことはない」と栄田監督。15年にはウィンターカップで全国3位に入り、「能代復活」と騒がれた。しかし、その翌年に県で敗退。栄田監督は就任以来3年間、新聞もテレビもほとんどみない。「自分たちがやるべきことをやるだけ。ぶれたくない」からだ。
伝統のメニューは今も変わらない。先発メンバーに190センチ台はおらず、代名詞の速攻やゾーンプレスを可能にする強靱(きょうじん)な足腰を鍛えるため、「ボディコントロール」のトレーニングには30~40分を費やす。夏場にはスタミナ強化のため、学校から11キロ離れた海岸「風の松原」まで徹底して走り込む。昔は脱走者も出るほど厳しい練習に、「今までのすごい先輩たちもやってきた。練習量では、どこにも負けない」と新田由直(2年)は言う。
伝統校ならではの苦しみはある。練習メニューや戦術を変えれば、すぐに「だから負けるんだ」とたたかれる。かつての「最強・能代工」のイメージは全国のファンに染みついている。「でも、怖がっていたらなにもできない。時代に対応していくことも必要」と栄田監督はいう。
今は先発メンバーのほとんどが秋田県出身。相手に応じて、マンツーマンやゾーンプレスを柔軟に使う。ウォーミングアップに大リーグの前田健太投手の「マエケン体操」を取り入れたこともあれば、ビッグマン候補には栄養補給のため監督手作りの味噌汁を毎日手渡す。6月からはOBで元日本代表の小野秀二氏(59)がコーチに就任し、サインプレーなど技術面でアドバイスを送る。
県総体の決勝は81―50で圧勝し、2年ぶりに全国大会出場を決めた。ほとんどのメンバーにとっては初の全国の舞台。「昔は能代工といえば相手がびびっていたと思うが、今はうちが挑戦者。追う立場なので思い切りプレーしたい」。主将の児玉凜斗(3年)は力強く言った。(照屋健)