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本田の姿勢見えたメキシコ移籍 柴崎も高評価受け新天地

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2017-7-25 16:56:22  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


スポーツジャーナリストの中西哲生さん


■中西哲生コラム「SPORTS 日本ヂカラ」


ACミランにいた本田圭佑の移籍先が、メキシコのパチューカに決まりました。パチューカはかつて福田健二が所属しましたが、メキシコリーグという選択自体、あまり日本人選手にはメジャーではありません。ただ各チームとも資金力があり、2012年ロンドン五輪決勝でブラジルを破って金メダルをとった、サッカー自体のレベルが本当に高い国です。


本田がACミランに行く前、オランダのVVVフェンロから移った先はロシアのCSKAモスクワでした。あまり日本人選手が行ったことのない場所という意味でも、今回の選択は実に本田らしい選択、というのが個人的な印象です。


今回のACミラン契約満了を受けて、かなり多くのチームが本田をとりたいと手を挙げていたという報道がありました。ACミランに所属した終盤に試合に出ましたが、きちんと準備をしていなければ、長く試合に出ていなかった状態で、あのようにすっと結果は出せません。ホーム最終戦でシーズン初得点を決めた時もゴールを決めた後に、味方の選手たちが抱きつきにいき、ベンチの選手も喜んでいるシーンをみると、いかに他の選手からの信頼が厚いかもわかります。


これは試合に出ていない時にいかにモチベーションを維持しながら準備をし、努力を怠っていなかったか、自分自身を鍛錬させ、プレーのレベルを上げることを丁寧にやっていたか、ということの表れでした。つまり能力もあるけれど、もしも試合にでられなくなった時には、地味なことを積み重ねチームに貢献できる、そんな選手が欲しいと他のクラブが考えるのは、自然な流れです。


試合に出ていない状況で高いモチベーションを維持する姿は、他の選手の模範になり、若い選手にもいい影響を与えます。1年契約で4億5千万円とも推測される高い年俸で契約に至ったのは、彼自身のパフォーマンスの質の高さという選手としての評価だけではなく、本田の人間としての評価も加味されてのことではないでしょうか。


また彼は新しいことを吸収し、自分自身を進化させるために、しっかりとクラブを選んでいます。記者会見でも、国内リーグ、12月のクラブW杯、そして来年6月のW杯本大会に向けて準備をしていきたいといったことを話していましたが、パチューカの本拠は標高2400メートルの高地にあります。日々トレーニングするところが高地ということで、相当に心肺機能も上がりそうです。これは推測ですが、31歳という年齢も考え、心肺機能を上げるためにパチューカに来る決断をした、という可能性もあるかもしれません。


パチューカは練習をする中で、肉体のレベルがひとりでに上がっていく場所、とも考えることもできます。ここで1年間プレーすれば、体力的にグレードアップしてW杯本大会を迎えることができ、日本代表にとっても大きな上積みとなります。


一方、スペイン2部のテネリフェでプレーしていた柴崎岳も、スペイン1部のヘタフェへの移籍が決まりました。昨年のクラブW杯まで鹿島でプレーし、事前にスペイン語を日本で勉強していき、向こうではスペイン語で記者と対応する場面もありました。当初は体調面でなじめませんでしたが、なじんでからは試合に出続けました。


結果、テネリフェは1部には上がれませんでしたが、1部昇格プレーオフで最後に戦ったヘタフェへの移籍が決まりました。もちろんテネリフェのサポーターからはよく思われないかもしれません。ただヘタフェが自分たちに対して2アシストした柴崎を獲得するということは、彼を本当に嫌な選手だったと感じていたからです。それが今回の4年契約、背番号10という評価の高さに表れています。


当初は2部リーグでプレーすることが、今後にどう影響するか、と危惧する声もありました。ただリーグやスペインでの生活環境に慣れる意味でも、2部への移籍は悪い選択ではありませんでした。カナリア諸島に本拠があるテネリフェから、今度の本拠地はマドリードの近く。レギュラー争いは激しくなる一方、移動の負荷は軽減します。


何より、クラブW杯の決勝で敗れたレアル・マドリードやバルセロナと計4度、リーグ戦で戦えることは柴崎にとって、大きな経験になります。確固たる技術と語学力で1部で有無を言わせない活躍をし、日本代表に招集せざるを得ない状況となることを期待しつつ、本田とともに1年後のW杯に向けて、いい新シーズンを過ごしてもらいたいところです。



なかにし・てつお 1969年生まれ、名古屋市出身。同志社大から92年、Jリーグ名古屋に入団。97年に当時JFLの川崎へ移籍、主将として99年のJ1昇格の原動力に。2000年に引退後、スポーツジャーナリストとして活躍。07年から15年まで日本サッカー協会特任理事を務め、現在は日本サッカー協会参与。このコラムでは、サッカーを中心とする様々なスポーツを取り上げ、「日本の力」を探っていきます。




 

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