被爆死した二川謙吾さんの遺品の懐中時計。資料館本館に展示されていたが、2年前、短針が折れていると判明した(息子の一夫さん寄贈、広島平和記念資料館提供)
広島への原爆投下から、6日で72年になる。広島平和記念資料館(広島市中区)では、犠牲者の遺品などの経年劣化が大きな課題だ。このためナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)の歴史を伝えるアウシュビッツ博物館(ポーランド)と連携。歴史の継承に向け、ノウハウを持つ同館に学芸員を派遣するなどの検討を進める。
平和記念資料館は、原爆死没者らの着衣や所持品などの遺品、熱で溶けたガラスや食器など約2万点を収蔵する。だが2015年、原爆投下の「午前8時15分」を指して止まった懐中時計の短針が折れているのが判明。原爆によるダメージに経年劣化が重なり、展示や貸し出し不能なものが出始めているのが実情だ。
アウシュビッツ博物館は70年前の1947年、ホロコーストがあった強制収容所の一部を活用して開館。約200ヘクタールの敷地に建物150軒以上が現存し、ユダヤ人収容者らの遺品の靴11万足以上、トランク3800個、毛髪2トン分などを保存し、一部を展示する。経年劣化の問題では、国境を越えて技術を持つ大学との協力関係を築き、若い学生が参加する修復作業などを進めてきた。
平和記念資料館の志賀賢治館長は今年6月、アウシュビッツ博物館を訪れ、連携の話が持ち上がった。広島の学芸員が収蔵品の修復や記憶の継承のあり方を学び、アウシュビッツ側も広島の実情を知る機会となる。志賀館長は「アウシュビッツと広島は、世界史的に極めてシンボリックな場所。つながりを強めていきたい」と話している。(宮崎園子)
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〈広島平和記念資料館〉 建築家の故・丹下健三氏が手がけ、被爆者の遺品や写真資料を展示した本館(1955年開館)と、歴史背景や核廃絶への取り組みなどを展示した東館(94年開館)から成る。延べ床面積約1万2千平方メートル。49年に広島市が開設し、資料の公開展示を始めた「原爆参考資料陳列室」が前身。市民が資料収集に協力した。来夏のリニューアルを目指し、本館は工事で閉鎖中。