天候不良で試合は順延。空席となったスタンドを歩く宮坂真一さん=15日午前、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場、細川卓撮影
松商学園(長野)野球部OBの宮坂真一さん(92)は、15日の甲子園第1試合で後輩たちを応援する予定だった。順延の決定後も球場に足を運び、足立修監督らを励ました。戦時の野球も学徒動員も経験した宮坂さんは「心置きなく大会が開けるのは、平和があればこそです」と痛感している。
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戦時下の1942年、宮坂さんは文部省などが甲子園で主催した中等学校の野球大会で松本商業(現・松商学園)のマネジャーとしてベンチ入りした。選手は「選士」と称され、記章には兵隊の姿。球場内には「勝って兜(かぶと)の緒を締めよ」の横断幕も掲げられた。国威発揚が目的の大会は選手権大会に数えられず、「幻の甲子園」と呼ばれる。翌年からはこの大会も開催されず、選手権大会は戦後まで行われなかった。
宮坂さんも戦争の現実を目の当たりにした。松本商業の同学年の仲間は戦地で病死した。同校からプロ野球に進んだ先輩で、「幻の甲子園」の予選に備えて対戦相手の偵察をしてくれた矢島粂安さんは南方の戦地で帰らぬ人となった。東京ドームの敷地内にある「鎮魂の碑」には矢島さんを含め、4人の松商OBの名前が刻まれている。
自身も明治大学で学徒動員され、45年8月には陸軍の見習士官として玉音放送に耳を傾けた。それから72年。日本学生野球協会の評議員などとして後輩球児を見守ってきた宮坂さんは、「歴史の重みも知った上で、思い切りプレーしてほしい」と願う。(山田雄一)