和田豊さん=小林一茂撮影
■甲子園観戦記 プロ野球阪神前監督・和田豊さん
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阪神タイガースでの現役時代、甲子園で試合が始まる時は、外野の芝を通ってから二塁の定位置についていました。内野に足を踏み入れるとスパイクの歯が土に入る音が聞こえるんです。サクッ、サクッと。それを聞いて「よしっ」と気合を入れる。プレーボール前の私の儀式でした。
第1試合が終わりました。見ていてください。日本一のグラウンド整備が始まります。土のグラウンドから、足跡が一つ残らず消えていく。負ければもう明日の試合はないのが、高校野球です。一つのイレギュラーバウンドが勝敗を左右してはいけないと、阪神園芸さんは限られた時間の中で完璧を目指して整備する。ここにも素晴らしいチームプレーがあります。
私は1985年から選手として17年、コーチで10年、監督で4年の計31年間、タイガースのユニホームを着続けました。昨シーズンから現場を離れ、ネット裏から試合を見る機会が増えました。視界は広いのですが、やはり私にしみついているのは、二塁の定位置やベンチから見る甲子園です。そこからなら、ボールがバットに当たった瞬間の音や角度で、この打球は野手の間に落ちる、野手の頭を越える、というのが分かります。
初めて甲子園でプレーしたのは高校1年の時。78年、初出場した我孫子(千葉)で2番・三塁手でした。豊見城(沖縄)との初戦で延長十回サヨナラ負け。三塁打を打ったけど、試合のことはほとんど覚えていない。まるで夢の中にいたようでした。高校時代、再び甲子園に戻ることは出来なかった。
プロとしてこれだけの長い時間を過ごしても、甲子園が夢の舞台だという思いは変わりません。私にとっても高校野球は原点なのです。だから、監督1年目のシーズンが開幕する前の激励会で、選手たちにこう語りかけました。
「目を閉じてください。高校時代に着た母校のユニホームを思い出してください。頭の中でそのユニホームを自分に着させてください。ここにいる全員が、その頃、我々の本拠地である甲子園を目指していました」
ここで毎日、試合が出来ることを当たり前と思って欲しくなかった。甲子園という夢を追った野球小僧の頃の気持ちを思い出して欲しかったのです。
高校野球のスタンドは温かい。前橋育英が敗れ、アルプスへのあいさつで泣き崩れている。悔しいだろうな。でも、いい涙だな。ありがとう。心が洗われた。さあ、また足跡一つない、まっさらなグラウンドになりました。(構成・竹田竜世)
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わだ・ゆたか 1962年、千葉県出身。日大から阪神に入団し、二塁手でゴールデングラブ賞3度。12年から監督に就任し14年には日本シリーズ進出。15年に退任後、オーナー付シニアアドバイザーを務める。