いま自分が暮らしているのは「便利すぎる社会」だと思うことがありますか?
「すぎる」かどうか、どこかに線が引けるわけもありません。便利すぎる社会と感じることがよくある、というアンケートの回答が66%となる中で、様々な疑問も寄せられました。「便利さ」をうたって、私たちの日常に溶け込んだ「コンビニエンスストア」。その研究者に、移り変わる便利さをどう捉えたらいいのか、尋ねました。
【アンケート】便利すぎる?社会
■むしろ、日本は不便
「便利すぎる?」への疑問、認識の違い、このアンケートを例にとった意見もありました。
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●「本当に便利なのでしょうか。常に新しい情報に目を配り、勉強し、お金を使って機器を購入し、利用を強いられる一方で、気に入ったサービスは廃止される社会になっていませんか。新しいものやサービスに挑戦することだけが尊ばれ、慣れ親しんだやり方で続けることは罪悪であるがごとく切り捨てられる。市場調査も新しいものに飛びつき、満足して、他人に広めてくれる人の声のみを聞く。便利だと言われ登場した機器は逆に労働強化になっています。昔は1枚のメモだけで説明出来た会議に、数十枚のパワーポイントの作成を強いられる、携帯電話でいつでもどこでも仕事の電話がかかってきて、しかも出ないと叱られる。IoTなんてまっぴらご免です」(京都府・60代男性)
●「便利なのではなく、便利だと思わされ便利に利用されているだけですよ」(栃木県・50代男性)
●「『すぎる』かどうかは、便利さを享受する人の立ち位置によると思う。また、『すぎる』と個人的に思うのであれば、個人でその便利さを手放せば良いだけのことではないだろうか。立ち位置によってはそれが必要な人・場合もあるので。例えば、ある程度の回答数が必要なアンケートをとるとき、パソコンやネットがなかった時代は、アンケート用紙を印刷して回答者たちに郵送し、返送されてやっと回答を得ていた。回答結果は手作業で分析。それと比べるとこのアンケートのしくみは、質問者および回答者にとって、数段『便利』だ。だからと言って、社会の一側面をあぶりだし、読者と共有するためのこの方法を『便利すぎる』と言えるのだろうか」(兵庫県・50代その他)
●「海外に住んでいればいかに日本が“不便”であるかがわかる。お粗末なATMサービス(24時間利用できない、外国のカードはセブンイレブンなどを除いて使えない)、デビットカードが普及していない、役所などでのいまだにオンラインではない書類による申請など、いくつかの基本的な点において日本は非常に不便な最後進国である。もう少し日本の外に出て、もっと多くの日本人が日本の不便な点も認識できるようになるべきである」(海外・40代男性)
●「『便利すぎる社会』というタイトルを見て、まったくそんな感じがしないことから、いったいどういう点にそう思うのか不審に思い、回答の内容を見ました。スマホは眼鏡をかけても見づらくあまり使っていない。買い物や電車、バスは街中なのに急な坂を上り下りしなくてはならない。だからいまだに健康で医療費はあまりかからない。長寿社会の医療費急増で介護や医療の保険料の負担ばかりが増える。社会全体がもっと不便になればいいのにと思う」(兵庫県・80代男性)
●「物心ついた時にはあったものを当たり前だと思い、物心ついてから現れたものを『便利すぎる』と感じるのだろうか。便利さによって失うものもあるだろうが、それは『青春の思い出』みたいなものだと思っている。書店に何時間もいて本を一冊選び、それを熟読して読み終わったら本棚に並べる。若い頃のそういう体験が今の自分を作っていると思うが、ウェブや電子本の便利さを知ってしまったらもう戻れない。今の若い人は、現在のシステムの中で、やはり若いときにしかできない体験をしていると思う」(福岡県・50代男性)
■退化の道、歩む恐れ
「食品業界で開発職をしています。お客様に対して、過剰であると感じることあります。例えば、食品の袋を開ける時に、日本で販売されている物は素手で開けられますが、海外でははさみを使うのが当たり前です。この違いは何だかわかりますでしょうか? 諸外国に比べ材料にコストをかけて、便利であることを求めた結果です。最近、海外の仕入れ先からは日本との商売はコストに対して要求事項が多いのでやらないと、言われたことあります。輸入に頼りそして、人口が減る我々は便利さをこのまま要求し続けることはできなくなると思います」(長野県・40代男性)
●「大学のリポートの文献探しから提出までパソコンで済ますことができるとき。自宅から、大学図書館のホームページにアクセスして電子化された文献を探せます。提出も、教授に電子メールでの提出が指定されることもあります」(東京都・20代女性)
●「便利過ぎると、思う。東京でコンビニ店長をしてる今、サービスは、日々増え、物も、情報も増え、選択肢も増え、時間は24時間変わらず。ストレス社会は、犯罪など負を生むから、誰かのため、自分の生活のため、求められ応えることで、生活が出来、自分の居場所を確保する今。世の中がもっと、ゆったりとした時間が流れるようになれば良いのになと、思います」(東京都・50代女性)
●「個人や企業が、人間の生活が便利にあるいは楽になるような物の開発を加速させてきたことで、人間本来の考えたり、手足を動かす機会を徐々に減らしてきているように思う。例えば固定電話しかない時代では、電話を架けるときに相手が在宅かどうかなど考えるが、携帯・スマホであれば何も考えずにいつでも安易にかけることができますし、パソコンの普及で字は読めるが、書く能力が著しく落ちてきています。自動車の運転でも自動装置が増えていき、やがて人間は行く場所を告げれば手足を使わず目的地まで自動で運んでくれるようになると思います。まさに、人類は便利さを追求することで、自らの能力を使い磨かず、退化の道を歩んで行くと思います」(和歌山県・60代男性)
●「牧場を経営しています。時々小学校の子供たちを受け入れるのですが、『コーヒー牛乳を出す牛はどれですか?』なんていう質問が出たりします。鶏の絵をかかせても4本足だったり、動かなくなったカブト虫を見て『電池が切れている』と言ったりするのを見るにつけ、世の中便利すぎていないかな~と思ったりします」(沖縄県・40代男性)
■コンビニが映す 日本のありよう 川辺信雄・早稲田大学名誉教授
30年近くコンビニを研究してきた経営学者、川辺信雄・早稲田大学名誉教授(72)に聞きました。
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1970年代、コンビニが米国から入ってきたとき、日本で独自に加えたシステムに「単品管理」があります。品物やサービスひとつひとつの売れ筋を見極め、経営効率を上げることが目的です。その後ライフスタイルは多様化しますが、コンビニは緻密(ちみつ)な管理を元に消費者の便利さに対する要求を機敏にすくい取っていきます。
その要求は時代とともに変わってきました。最初は長時間営業です。24時間営業は、夜に活動する人たちがこぞって支持しました。次は、ちょっとしたものを手に入れたいという欲求です。米は米屋、雑貨は雑貨屋という垣根を取り払い、3千もの品をそろえました。次いで、近くで宅配便やATMを利用したいという要望に応え、生活支援の拠点になっていきました。女性の社会進出が進むと働く女性向けの総菜、高齢化社会に対応して味を薄くした食べ物を置くようになります。
セブン―イレブンを育てた鈴木敏文さんに「競争相手は消費者だ」という言葉があります。めまぐるしく変わる消費者のニーズに応じて迅速に変わっていく。これがコンビニの本質です。
消費者のニーズの積み重ねの結果がコンビニだと考えると、「便利すぎる」とは言えない。むしろ私たちが求める「便利そのもの」が問われなければなりません。買い物難民の問題などを考えると、便利さの足りない地域や分野があることに気づきます。
近代の民主主義社会を形づくっているのは、公正なプロセスの下での利害調整です。消費社会も同じ。決めるのは、当事者間の費用と便益です。コンビニ経営者は便利にすることを常に考える一方、無駄だとなると考え直します。
最近、場合によっては24時間営業をやめてもいいという議論が業界からも一部出てきました。人件費が上がる一方で、深夜営業がもうからないとなれば、閉めることが現実的な選択になります。
過酷な働き方が社会問題になっています。過重労働してまで24時間営業をする必要はないと思えば、深夜などに行かなければいいのです。そういう一人ひとりが増えれば、24時間営業はコスト的に合わなくなるでしょう。でも実際は行く人が多い、つまり社会的なニーズがある、という状況です。
日本が今どういう社会なのか考えるヒントがコンビニにはあります。コンビニにどんな便利さを求めるのかは、これからどんな社会にしたいのかという議論に通じます。(聞き手・村上研志)
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