長井健司さん(APF通信社提供)
ミャンマーの最大都市ヤンゴンで反政府デモを取材していたジャーナリストの長井健司さん(当時50)が射殺されてから27日で10年。兵士に狙い撃ちされたとみられるが、当時の軍事政権の「流れ弾による事故」との説明は覆っていない。妹の小川典子さん(57)は今月、アウンサンスーチー国家顧問に手紙を書いた。(ヤンゴン=染田屋竜太)
「憎しみを抑えこみ、怒りを押し殺して、生きてきました」。長井さんの故郷、愛媛県今治市に暮らす典子さんは、スーチー氏への手紙にそうつづる。
長井さんは2007年9月27日、ヤンゴン中心部でデモの撮影中に射殺された。軍政は日本政府などに「数十メートル先で発射された流れ弾による事故」とし、ミャンマー側から遺族への謝罪はなされていない。長井さんが撃たれた際、右手に持っていたビデオカメラの返還も、「所在が確認できない」(軍政)として実現していない。
しかし、射殺される瞬間を撮影したメディア「ビルマ民主の声(DVB)」の映像では、背後から至近距離で兵士に撃たれたように見える。関係者によると、日本で行われた遺体の司法解剖でも「数メートル以内の距離で、ライフル銃で水平に撃たれた」と判断された。当時、現場にいたという警察公安部の男性も「目の前で兵士が撃ったのを見た」と朝日新聞に語った。
16年3月、民主化運動の指導者スーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が政権交代を果たし、典子さんらは「事態が動くのでは」と期待した。しかし、日本の外務省から、新政権は国民和解を優先し、軍政時代の責任を追及しない姿勢だと知らされた。
長井さんの両親は、「遺族が現場を訪れれば、『事故だ』というミャンマー政府の主張を覆せないまま、事件に区切りがつけられてしまう」と、ヤンゴンを訪れないまま、2人とも4年前に亡くなった。
典子さんは「スーチーさんは経緯を知らないだけではないか」と思い、手紙をしたためることにした。手紙では、「兄はミャンマーの惨状を知り、世界中に知らせなければと思い入国した」と説明。ミャンマーで改革が進んだこの10年について、「日本企業が続々と進出していく一方で、遺族からすれば何の事態の進展もなく過ぎた」と記した。
典子さんも今となっては犯人捜しや軍を責め立てるのは難しいと感じる。手紙では「ならば。せめて。あの時に何があったのか、事実を明らかに」と訴えた。
「スーチーさんなら、真実を認…