料理研究家の保森千枝さん。卓上にあがっているのは、魚とアボカドのタルタル仕立て(手前)や、ふわふわ海老(えび)すり身のフライ(中央)など=東京都世田谷区、池永牧子撮影
かむ機能は失われても、食べたいものをおいしく食べる喜びを――。口腔(こうくう)がんになった夫の「いのち」を食でつないだ料理研究家の女性が、自身が編み出した「介護食」のレシピを1冊の本にまとめた。夫は他界したが、夫と囲んだ食卓の記憶とともに、妻は「介護食アドバイザー」の道を歩み始めた。
クリコこと保森(やすもり)千枝さん(57)の3歳年上の夫、章男さんが口腔(こうくう)がんの手術を受けたのは2011年暮れ。舌のつけ根付近を大きく切除する手術で抜歯が必要となり、残ったのは左奥歯1本、さらにあごの感覚がまひした。病院の食事はすべてミキサーにかけられ、食べることが大好きだった夫から食欲と笑顔が消え、体重は1カ月で7キロも落ちた。
体力が戻らないと、次に控える食道がんの手術にのぞめない。クリコさんは元々料理が上手で、自宅でイタリア料理教室を開くほどの腕前だった。だが、かめない人向けの食事を作ったことはない。何をどう食べさせたら? 看護師に聞いても「軟らかければ何でも」。スーパーで見つけた市販の介護食はおいしいと思えず、食べさせられなかった。
退院から10日目、クリコさんが作ったおかゆを食べられないと訴えた章男さんを叱り飛ばした。「なぜ、そんなわがままを!」。章男さんは申し訳なさそうに言った。「手術した口の中の状況が傷の回復とともに日々変わるようで、昨日食べられたものが今日食べられない」
クリコさんは当時、終日キッチンにこもって、食材をひたすらミキサーにかけたり、麺類を舌でつぶせる状態までゆでてみたり、試行錯誤していた。「私自身の疲れがピークに達し、夫の『かめない苦しみ』を想像する余裕を失っていた。この件を機に彼の食欲をそそり、食べることを楽しめる料理作りを心がけるようになった」
手術から4カ月後、クリコさんは棒々鶏(バンバンジー)を食卓に出した。章男さんは一瞬「僕が食べられるの?」と戸惑ったが、モゴモゴと口を動かしてのみ込むと、「クリコ天才!」と満面の笑み。胸肉やもも肉をそのまま使うのではなく、ひき肉と大和芋、豆腐の量を工夫して混ぜあわせ、舌でつぶせる軟らかさにして成形した。
クリコさんは料理の見た目も重…