長編小説「いのち」を手にする瀬戸内寂聴さん=11月29日午前、京都市右京区、槌谷綾二撮影
女性の強さや恋、性を書いてきた瀬戸内寂聴さん(95)が、最後の長編小説という「いのち」(講談社、税別1400円)を出しました。ともに芥川賞作家でもある2人の女性、大庭(おおば)みな子(1930~2007)と河野多恵子(1926~2015)との思い出を中心にした自伝的小説です。がんを摘出し、心臓のカテーテル手術を受けても書き続ける寂聴さん。先月末に京都・寂庵(じゃくあん)であった会見で、書くこと、生きることを語りました。
【特集】瀬戸内寂聴さん
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(本人談)
この本が最後の長編小説とうたっていますけど、たぶんこの通りだと思います。こんな長編はもう書けないと思います。一番仲良く付き合っていた2人の作家、大庭みな子と河野多恵子のことを書いてあります。2人とも日本文学史に必ず残る、とっても才能の豊かな、いい作家だと思います。
書いているうちに悪口が随分でてくるんですけど、思った通りに全部書いてあります。悪口は本当に愛情がなければ書けません。彼女たちも、あの世で、ああやられたなあというぐらいで、喜んでくれると思います。もうすぐ会えるかもしれないけど、その時は一席設けてもらって、お酒を飲みたいと思います。
死んだらあの世で懐かしい人に会えるかなと思っていたけど、最近は誰にも会いたくないと思いますね。仲良くした人や愛し合った人がいっぱいいますけど、死んだら誰にも会いたくない。死ぬということは、何もなくなったほうがいいような気がします。
(一問一答)
――「いのち」には別れのシーンが多い。どんな気持ちで書いたのですか?
感情が高ぶっていれば書けません。書いているときは、小説を書いているという気持ちですよ。
――2人の夫婦生活も思い切って書いています
河野さんの場合、夫婦生活が普通と違っていたでしょ。彼女の小説はそれを理解しないと本当のことがわからない。最後の長編小説と思っていますし、2人は日本文学史に必ず残ります。少なくとも私が一番知っているから、何でも書いておくことが後の研究に役に立つと思いました。
――「いのち」というタイトルはすぐに決まった?
小説を書くということが私の命ですからね。2人も、何が大事かというと小説を書くことだった。大庭さんが(病気で)小説を書けなくなって非常に気の毒だった。会うたびに「私は死んだほうがまし」とベッドの上で泣いていましたよ。
2人だけのことを書こうと思って始めたのではなく、自分のことも入れるつもりでした。だけど、2人が強いから、だんだん2人のことになってしまった。考えてみたら、あの2人の命は、ただごとではないです。いい妻でもなければ、いい母でもない。私も含めて。与えられた命は、その人それぞれが精いっぱいに生きた意味がある。
私はね、男運が悪いって言われ…