篠山竜青選手
バスケットボールの第70回全国高校選手権(朝日新聞社など主催)が23日、東京体育館で開幕する。昨年までの「全国高校選抜優勝大会」から改称。「ウインターカップ」の愛称で親しまれ、3年生にとっては高校最後となるこの大会が名実ともに高校チャンピオンを決める大会になる。この大会から羽ばたいた選手はどんな高校時代を過ごしたのか。Bリーグ・川崎ブレイブサンダースや日本代表で活躍する篠山竜青選手(29)に思い出を聞いた。
「バスケットでメシを食う」
――横浜市出身の篠山選手が進学先に北陸を選んだのはどうしてですか。
「バスケットでメシを食えるようになる」が小学生の頃からの夢でした。当時、日本リーグの選手の経歴を見ると、強豪の高校から大学の関東1部リーグに進んだ人がほとんど。神奈川県は出た方がいいなと早いうちから考えていました。知人を介して誘ってもらったのが北陸。二つ返事で入学しました。
――ウインターカップは、どんな舞台でしたか。
小学生の頃、能代工の田臥(勇太)さん(現B1栃木)が活躍していた時から東京体育館に見に行っていました。高校1年の2回戦、大差で勝っていた延岡学園戦の終盤で初めて出してもらったのですが、「やっとここまで来た」と感慨に浸りました。
3年の時は総体王者として出ましたが、プレッシャーも感じず、お客さんがたくさん入る東京体育館をちょっとでも沸かしたい、高校最後にいいプレーを見せて終わりたいと張り切っていました。でも決勝で洛南のアレク(湊谷安玲久司朱(あれくしす)、現B1横浜)に40点も取られ、ボコボコにやられました。北陸は守備からリズムを作りたいチームなのに、洛南のガード陣が総体の時とは比べものにならないほど対応してきて、向こうの攻撃のリズムになってしまった。焦っちゃったのかな。もう少し接戦にしたかった。最後の5分くらいは特に悔やまれます。
「心置きなくプレーして」
――高校時代、将来をどう描いていましたか。
当時の最終目標は、大きな会社の実業団チームに入ることでした。バスケットを選んだ以上、ゴールはそれだと思っていたし、野球やサッカーの人気と比べようとさえ思わなかった。こうしてBリーグができて、自分が描いていた夢以上のことが起こっている感じです。だから今の高校生がうらやましい。はっきりと目指すべき華々しいリーグがあり、受け皿もチャンスも広がった。モチベーションになるでしょうね。
――高校生にウインターカップの舞台をどう戦ってほしいですか。
今でこそBリーグができて大勢のお客さんの前でプレーできていますが、それまではウインターカップが人生で一番大きな舞台でした。いまだに会場やテレビで見ると、高校生がうらやましいなと思う。3年生には特に、心置きなくプレーして、大会を楽しんでほしいなと思います。(聞き手・伊木緑)
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しのやま・りゅうせい 1988年生まれ。横浜市立旭中から強豪の福井・北陸高に進み、3年生の時には高校総体で優勝。選抜優勝大会は準優勝で、大会ベスト5に選ばれた。北陸高ではB1北海道の多嶋朝飛と同期だった。日大を経て東芝(現・川崎)に加入。14年から主将を務め、昨年から日本代表にも選ばれている。178センチ。