土屋源太郎さん。2016年3月、東京地裁で再審開始請求が棄却された=東京都千代田区
平和憲法との深い関わりがありながら、憲法改正論議でほとんど語られないテーマがある。日米安全保障、そして、それを支える沖縄だ。安保も、9条も大切――。そうした戦後日本の多数派世論が見過ごしてきた現実がある。(木村司)
生きて描きたい、絵は叫ぶ 戦争が奪った画学生の尊厳
陸自幹部「首相は究極の護憲派」 9条とPKO巡り皮肉
「9条守れ」だけでは伝わらない 護憲叫ぶ声の中で
特集:沖縄はいま
沖縄で米軍の事故やトラブルが相次ぐ。そのニュースを聞くたびに静岡市葵区の土屋源太郎さん(83)は胸を痛めている。「沖縄の人たちに苦しみを与えてしまった。申し訳ない」
半世紀前、東京であった「砂川闘争」に学生として参加した。歴史教科書にも登場する反米軍基地運動。10歳のとき空襲で自宅を焼失させられた土屋さんにとって、平和憲法を守るための闘いだった。
基地内に数メートル入り、起訴された。裁判は、米軍駐留が戦力の不保持を定めた憲法9条に違反しないかが問われた。1959年に一審は、現憲法下で唯一、「米軍は9条違反」とする無罪判決を出した。しかし、最高裁は事実上の「合憲」判断。罰金2千円の有罪が確定した。
その後、東京を離れ、静岡で印刷業を営む。「砂川」は聞かれない限り、話してこなかった。
その土屋さんがなぜ今、沖縄に謝罪するのか。
「日本にある基地をなくすために闘い、返還も勝ち取った。でも、沖縄につなげることはできず、今の状態が作られた。当時はそこまで考えられなかった」
◇
冷戦が激化した50年代、米軍は全国で基地拡張を計画したが、平和憲法の理念を背景に「反基地闘争」が広がり、本土の基地は縮小した。象徴が砂川だった。
一方、米軍統治下で憲法の適用外にあった沖縄は「忘れられた島」だった。本土からも米軍が移り、「本土9、沖縄1」だった基地負担の割合が「本土3、沖縄7」に逆転。その歴史は近年になって光が当てられるようになった。
95年に沖縄で起きた米兵によ…