2017年11月のグランプリシリーズNHK杯の前日練習中に転倒し足を負傷した
平昌五輪フィギュアスケート男子で66年ぶりの連覇を果たした羽生結弦にとって、ソチ五輪を制してからの4年間は、けがとの戦いでもあった。決して順風満帆ではなかったその歩みを振り返る。
男子フィギュアの詳細結果
言葉を動きに、動きを言葉に。「孤高の星 羽生結弦」
特集:平昌オリンピック
【2014年11月】
中国杯フリーの演技前の練習で中国選手と衝突。左太ももの打撲など5カ所にけが
【同12月】
グランプリ(GP)ファイナルで2連覇。全日本選手権で3連覇した直後に「尿膜管遺残症」と診断され、手術を受ける
【15年3月】
世界選手権で271・08点で2位。SP首位から逆転を許す
【同11月】
NHK杯でSP106・33点、フリーで216・07点、合計322・40点。いずれも世界最高点を更新
【同12月】
GPファイナルのSPで110・95点、フリーで219・48点、合計330・43点。いずれも世界最高点を更新し、3連覇達成。全日本選手権も4連覇達成
【16年4月】
世界選手権で295・17点で2位。SP首位から12・04点差を逆転される
【同9月】
オータム・クラシックのSPで4回転ループを史上初めて成功させる
【同12月】
GPファイナルで史上初の4連覇を達成。全日本選手権はインフルエンザで欠場
【17年4月】
世界選手権で321・59点で2度目の優勝。フリーで世界最高の223・20点を記録し、SP5位から10・66点差を逆転
【同10月】
ロシア杯フリーで4回転ルッツを自身初成功
【同11月】
NHK杯の公式練習で右足首を捻挫し欠場
【同12月】
全日本選手権を欠場
【18年2月】
平昌五輪で4カ月ぶりの公式戦