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「きもい」言われても諦めず、門戸開いた 男子シンクロ

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2018-3-6 16:43:51  点击:  切换到繁體中文

 

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男子のシンクロナイズド・スイミングについて語る安部篤史さん=東京都稲城市、土居新平撮影


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3月8日は、国連が定めた「国際女性デー」です。男女格差が大きいとされる日本を、次代を担う若い人たち、とりわけ女の子たちが性別にとらわれず生きることができる社会に――。シンクロナイズド・スイミング初の男子日本代表の安部篤史さんは、「続けることによって、周りの目は変化する」と語ります。


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もともとは競泳をしていました。小学生から高校3年まで続けていて、僕にとっては水泳=競泳でした。でも大学1年のとき、男子のシンクロを題材にした映画「ウォーターボーイズ」を見て、そのイメージが覆りました。チームで観客を魅了する、エンターテインメントとしての水泳があると気づいたのです。


その年の冬、映画の振り付け指導をしていた水中パフォーマンスチームのオーディションを受け、合格。それから学業と並行してショーにも出るようになりました。


でも、チーム内での僕は劣等生でした。うまく表情を変えられないし、人前に立つと何をしたらいいか分からなくて赤面してしまう。恥ずかしがり屋で、自分に自信もなかった。そんなとき、集団の代表から「競泳の技術と体力があるのだから、スポーツとしてのシンクロを追求してみてはどうか」と助言を受けました。これが競技としてのシンクロに目を向けたきっかけです。


それから、パフォーマンスの活動とともに、シンクロの練習をする日々が始まりました。当時、大会に出るような女子シンクロチームに男子選手を受け入れる態勢はなく、地域のマスターズシンクロ教室でシンクロを習っていました。もちろん、周りは女性ばかりです。応援してくれる人もいる一方で、「何で男の人がいるの?」「この人は誰?」と奇異の目で見られることもありました。


大学卒業後も就職はせず、水泳やシンクロのコーチで生計を立てながら練習を続けていました。


でも、当時は出られる大会もな…




 

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