JFLの開幕戦に向けて雪の中で練習するコバルトーレ女川の選手たち。平日の練習開始はたいてい午後6時半。町内の職場から人工芝のホームグラウンドへ集まってくる=2月27日
2011年の東日本大震災から7年になる11日、津波の大打撃を受けた宮城県女川町を拠点にするクラブが、サッカーJFL(日本フットボールリーグ)にデビューする。コバルトーレ女川は、2006年に地域活性化のためJリーグ入りを目指して創設されたクラブで、被災で活動停止に追い込まれたが1年後に復活し、昨年の全国地域チャンピオンズリーグで優勝してJFL昇格を決めた。
キックオフは「あの日」
静岡・都田で行われるJFL開幕戦の相手は3連覇を狙うホンダ。試合開始は午後1時で、震災が起きた午後2時46分は試合の終了間際に迎えそうだ。
女川にとって晴れの舞台だが、「3月11日」と重なることには複雑な思いもあるという。チームを応援してくれた人たちも津波の犠牲になったからだ。
創設時から在籍している選手の吉田圭(30)は「この日にアウェーで試合をするなんて、地元の人たちはどう思うかなと心配な気もする」。
選手たちが町民と肩を並べて働き、きずなを育んできたクラブだ。
あの日、吉田が勤める水産加工業「佐藤水産」の当時の専務は、中国人研修生を含む社員を高台に誘導した後、社員寮へ戻って津波にさらわれた。勤務中だった吉田は、車で高台に避難して難を逃れた。
当時の女川の選手たちは、被災直後から自主的に救援活動をした。勤務先のかまぼこ工場から商品を持ち出して避難所に運んだり、工場のタンクにあった飲料水を町内に配ったりした。
当時の選手の1人、主将の成田星矢(31)は、今もかまぼこなどを製造している「高政」で働いている。「現役を続けている選手は吉田と僕の2人になった。後から入って来た選手からは当時のことを繰り返し聞かれる。『やれることをやるしかない。あのときも今も同じ』と伝えている」
創設13年目
今年は10人が新加入。指導陣には村田達哉新監督(45)が加わった。村田監督は就任直後に震災の被害について改めて学んだ。「女川はただのクラブではない。被災した地元の人の話を聞いたり、被災地の様子を見たりしておかなければならないと思った。大変な状況にありながら、前向きな気持ちを失わない被災地の人たちから感じるものがあった」
チームを創設した近江弘一社長(59)は、迷った末に、ホンダ戦をチームと一緒に迎えることにした。被災直後に壁新聞を発行したことで知られる石巻日日新聞の社長も兼ねており、震災後、昨年までの「3月11日」は石巻市内の追悼行事に出席し、午後2時46分は会社の前で迎えてきた。
「今年、JFLの開幕戦と重なったのは運命的だと思っている。元気になった姿を見せられる日になったのだから、私も前を向いて、チームと一緒にこの日を迎えようと思う」。女川町内と石巻市内では試合のパブリックビューイングも開く。
目標はJ昇格
今後はチームの発展と被災後の地域事情に合わせた地域活性化策も模索していく。たとえばサッカーとボランティアの融合。東京・明大明治高のサッカー部は夏に女川町で合宿し、冬には石巻日日新聞が主催する石巻市の小学生の大会でボランティアをしている。女川が今年から社員として雇った体力強化専門のコーチが、地元の高齢者を巻き込んで健康プログラムを展開する計画もある。
JFLの今年、活動費は昨年比倍増の1億2千万円と見込まれており、周辺自治体の石巻市なども支援に乗り出す。20年には女川町に5千人収容で天然芝の球技専用競技場を完成させる計画も進む。
女川町への貢献と、Jリーグ昇格、二つの目標を追い続ける。(忠鉢信一)