花咲徳栄―東洋大姫路 再試合でサヨナラ勝ちし、整列する東洋大姫路の選手たちと、マウンドでうずくまる投手福本をかかえ起こす花咲徳栄の選手たち
あの春 センバツ名勝負
(2003年3月31日 第75回準々決勝〈延長15回〉 東洋大姫路2―2花咲徳栄)
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右打者の外角低めに外れたスライダーは、ワンバウンドして捕手のミットをかすめていった。5―5で迎えた延長十回、無死満塁。三塁走者が生還し、花咲徳栄のエース福本真史はマウンドで突っ伏した。
「申し訳ない気持ちと全部出し尽くしたという気持ち、両方だった」。2003年の春。25イニングにわたる接戦は、サヨナラ暴投で幕を閉じた。
その前日。3月31日の準々決勝第4試合。2人のエースが「0」を並べていく。東洋大姫路のグエン・トラン・フォク・アン。1年夏に甲子園でデビューし、ベトナム国籍という話題性もあり、注目された左腕だ。対する右腕・福本は140キロ台の直球を軸に力で押した。
試合は延長戦へ。十回に1点を取り合い、同点のまま十五回表。アンが打ち取った右飛を、前川直哉が落球した。さらに2死三塁から打ち取った打球が内野安打となり、1点を勝ち越された。アンは主将でもある。怒りをこらえ、周りに声をかけた。こんな思いからだ。「最後の夏にかけていた。だから、春は仲間が甲子園に慣れることだけを考えていた」
その裏、今度は福本が2死三塁のピンチを背負う。あとアウト一つ。遊ゴロ。前へ突っ込んだ水谷俊一が、はじいた。同点。そして、午後7時48分。選抜で41年ぶりとなる引き分け再試合となった。
明日も試合がある――。花咲徳栄の岩井隆監督は真っ先に水谷に声をかけた。「あのまま相手が負けたら、あの子が十字架を背負って生きていく。お前があの子を救ったんだ」。“あの子”とは、十五回に落球した前川のことだ。その言葉は福本にも響いた。「俺も普段から野手に救ってもらっていた」
アンは放心状態だった。「終わった安心感と疲れがすごかった」。宿舎で藤田明彦監督との面談を待つ間に廊下で寝てしまうほどだった。そのエースを助けられなかった野手陣は、午前1時までバットを振った。
4月1日、2人は野手で先発した。監督たちは同じ絵を思い描いていた。「昨日の展開があって、今日、この試合のためだけに甲子園がある。最後は福本とアン君の投げ合いになる」と岩井監督。藤田監督も「最後は福本くんが来る。アンをどこで出すか」と考えていた。アンが八回に、福本が九回にマウンドへあがった。ただ、結末までは想像できなかった。
最後の暴投。岩井監督には、捕手の清水康寛のミスに見えた。が、すぐに思い直した。「福本にばかり気がいっていたけど、2試合ずっとマスクをかぶって、あいつが一番しんどかったんだって、終わってから気づいた」。福本は一切、仲間のせいにしなかった。「あれは俺のミス。いつも野手に助けてもらっていたし、1点を守るのがエース」
福本はいま、32歳になった。明大からTDKに進み、現役引退後の2010年、コーチとして母校に戻った。「あのときはまだ、トクハルって読んでもらえなかったからね。あの試合で少しは覚えてもらえたなら、うれしいよ」。昨夏は埼玉勢初の全国制覇を果たし、“トクハル”は、さらに知名度をあげた。
一方のアンは、社会人野球の東芝に進んだが、故障に悩まされ、社業に専念している。ただ、春になるたびに当時の映像がテレビで流れ、周囲に声をかけられる。「今になって、すごい試合をしたんだなって」
そして、遊撃で痛い失策をした水谷は、15年前をこう振り返る。「再試合には出たくなかった。申し訳なくて。でも岩井先生の言葉で、『よし、明日も』って思えたんです」
野球にミスはつきもの。その後、仲間にどんな言葉をかけ、どう振る舞うべきか。この投手戦には、90回目の春を戦う球児の手本になるものが、たくさんあった。=敬称略、終わり(小俣勇貴)