引退のあいさつで涙を流す遠藤尚
フリースタイルスキー・男子モーグルの「エース」と呼ばれてきた遠藤尚(忍建設)が、今季限りで現役を退いた。10位に終わった平昌(ピョンチャン)五輪まで3大会連続で五輪に出場し、2010年バンクーバー五輪では日本男子過去最高(当時)の7位入賞。長年先頭を走ってきた27歳が、余力を残して第一線を去る。
引退レースは、18日に札幌市であった全日本選手権。昨季世界選手権2冠の堀島行真(中京大)には敗れたが、その他の若手はねじ伏せて準優勝を飾った。今季のW杯ランキングは4位。実力は、今も世界トップクラスと言っていい。
それでも引退する理由を聞くと、遠藤は「戦う気持ちを作ることが、もう難しい」と語った。
左肩をさすりながら、「たぶん、靱帯(じんたい)が切れているんですよ」とそっと明かしてくれたことがある。1年前にあった前回の全日本選手権の公式練習中に転倒し、左肩を強打。病院では「関節唇の損傷」と診断され、「痛みは3週間もあれば引く」と言われたという。が、2カ月経っても痛みは消えなかった。
再検査を拒否し五輪へ
周囲から再検査を勧められながら、遠藤は拒否した。16年2月に同様の症状で右肩の手術を受け、回復に約1年かかった経験があったからだ。「どんな診断が出たって、手術をすれば平昌には間に合わない。ならば、痛くてもできるようにするしかない」。痛みを抱えたまま五輪へ。それは、ある種の賭けに違いなかった。
今も左腕はうまく上がらない。そればかりか、以前手術を受けた右肩にも慢性的な痛みがあり、角度によっては思うように力が入らないという。
以前飛んでいた空中技「コーク1080」(斜め3回転)を、今季は2回転に変更した。「回転数を下げる代わりに、板をつかんで特徴を見せた方が高得点を狙える」というのが表向きの理由。だが、「回転の勢いを作る強い動きを右腕ではもうできない」と漏らした。
メダルを狙える最後の五輪が平昌かもしれないと思えば、「痛いからって、痛いってずっと言い続けて、それが何の意味を持つのか」。同情も、心配も役には立たない。だから、遠藤は左肩のけがのことをあまり話したがらなかった。
平昌では決勝1回目をトップ通過しながら、上位選手による決勝2回目で転倒した。「やれることを全部やっても届かなかった」。そこで、気持ちが切れた。じっくりとリハビリに取り組めば、体を作り直すことは可能。ただ、1年間も満身創痍(まんしんそうい)の体を引きずって歯を食いしばってきただけに、何よりも心が消耗してしまった。
「苦しくて、毎日やめたくて」
現役最後の試合となった全日本選手権。決勝で披露した鮮やかなコーク720(斜め2回転)に沸く観衆に、左肩のけがやその後の葛藤を知る者は多くない。「苦しくて、毎日やめたくて。正直、楽しくはなかった」と遠藤は今季を振り返る。「ただ、この1年を過ごしたことが、今後の人生の支えになる」とも。
最も思い出の残るレースを聞くと、自分のことではなく、平昌で日本男子モーグル史上初の銅メダルに輝いた原大智(日大)の滑りを挙げた。「そう思う段階で、競技者としては終わりです」
堀島や原の成長について、遠藤は「もう後輩に見せられるものはないし、もう自分には可能性を感じません。引退には十分すぎる状況」。泣きながら笑って、選手生活に別れを告げた。(吉永岳央)