鈴渓義塾の歴史を展示している資料室と磯村充利校長=愛知県常滑市大谷の小鈴谷小学校
標準語の父、トヨタ中興の祖、名古屋帝大(現・名古屋大)創立の尽力者……。これらの人たちには共通点がある。ある私塾(のちに公立化)の出身者だ。小学校も十分になかった時代に、学問の重要性を早くから認識した地域の人たちが子どもたちの教育に取り組んだ。その精神はいまも受け継がれている。(豊平森)
愛知県常滑市の南部にある小鈴谷(こすがや)地区は、郷土の偉人が多く輩出した。その拠点が、1888(明治21)年創設の「鈴渓(れいけい)義塾」だ。流れをくむ市立小鈴谷小学校には義塾の資料室があり、当時の教科書など多数の資料が残されている。
子どもたちは総合学習の授業で、ゆかりの場所を巡って義塾の歴史を学ぶ。磯村充利校長(59)は「郷土の誇りにつながっている」と話す。子どものころ、「この辺りは偉い人がいっぱい出た所だぞ」と言われて育った一人だ。
小5から中2に相当する高等小学校がなかった当時の小鈴谷村。代々庄屋で酒造りもしていた盛田家11代当主、盛田命祺(めいき)が私財を投じて作ったのが鈴渓義塾だ。塾長には伊勢出身で師範学校を出た溝口幹を招き、数学、理科、簿記などを教えた。教育レベルはかなり高かったという。
命祺は「学問のすすめ」を書いた福沢諭吉ら、多くの文化人と交流があった。寄宿舎を設け、学費を援助して貧しい子でも学べる環境を整えたという。
4年後に公立鈴渓高等小学校となり、溝口はそのまま校長に。1907(明治40)年に他の2校と統合するまでの19年間が鈴渓義塾の時代とされ、後にトヨタ中興の祖とされる石田退三、標準語の父と言われる石黒魯平らが巣立った。明治初期には小鈴谷小の前身の一つで、やはり命祺が設立に参加して溝口が教えた小学鈴渓学校で、敷島製パン創業者の盛田善平が学んだ。盛田家15代当主は、ソニー創業者の盛田昭夫だ。
小鈴谷小で校歌とともに必ず歌われる「我ら鈴渓の子」。2番はこう始まる。
♪この地からいくつもの夢が羽ばたいた/電気と車が暮らしを変えた/パンは人を助けた(中略)一つ一つの汗と涙が/僕たちの誇りさ(後略)
作ったのは2007年度の卒業生たち。「ここで学ぶ子どもたちに、先人に続く夢と希望を持ってほしい」。磯村校長の願いだ。
資料室は公開しているが事前連絡(0569・37・0021)が必要だ。
鈴渓義塾・鈴渓高等小学校の主な出身者
(小鈴谷小の資料より)
石黒魯平(1885~1956)駒沢大教授、文学博士、標準語の父。
石田退三(1888~1979)トヨタ自動車工業会長、中興の祖。
伊東延吉(1891~1944)文部事務次官、名古屋帝大の創立に尽力。
榎本誠(1891~1965)養鶏業。多産鶏を開発。世界記録となる1年365個の無休産卵。
森下信衛(1895~1960)海軍少将、戦艦大和第4代艦長。