竹本住太夫さん(右)と聞き手の桂南光さん=1月31日、大阪市北区中之島の中之島会館
竹本住太夫さんが最後に舞台に出たのは今年1月31日、大阪市北区の中之島会館であった「文楽の心を語る」と銘打たれたイベントだった。車いす姿で登場し、落語家の桂南光さんらを聞き手に、生い立ちや文楽太夫としての歩み、芸論などを軽妙に語った。
人間国宝の竹本住太夫さん死去 人形浄瑠璃文楽の太夫
芸の心得を「基本に忠実に、素直に、あとは人間性」「上手にやろうやろうとなったら芸が小そうなる」などと話し、義太夫節を習っている南光さんに「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ) 帯屋の段」の出だしの手本をみせる「公開稽古」の一幕も。
弟子の竹本文字久太夫さんに車いすを押され、客席に向かって「みなさんの顔が見えてうれしかった」「おおきに」「ありがとうございました」の言葉を残し、盛大な拍手に包まれて舞台を去った。(篠塚健一)
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竹本住太夫さんの死去を受け、ゆかりのある人たちからは死を悼む声が聞かれた。
交流があった俳優の竹下景子さんは「稽古が厳しいことは知られていましたが、楽屋を訪ねると気さくで優しく声をかけてくださいました。言葉をとても大事にしていて『文楽は情やな』とおっしゃっていたのが忘れられません」と振り返った。
作家のいとうせいこうさんも知らせを聞き、「平成30年であるにもかかわらず、昭和の巨星が堕(お)ちたと言いたくなる。私自身にとって、人形だけを見がちだった文楽を一転、太夫で聴くようになったきっかけだった。ご自身は『不器用』で『声が悪い』と言い続け、だからこそ『いつまでも稽古』とおっしゃっていた」とコメント。古典芸能演出家の山田庄一さんも「真面目で努力の人。『そんなに腹を立てたら体に悪い』と声をかけたこともあるほど稽古には厳しかった。それだけ芸に熱心だった」と語った。
文楽の熱心な愛好家で歌人の松平盟子さんは「文楽は、関西の芸能の基盤という強い使命感があったから、自他共に厳しい姿勢を貫いたのではないでしょうか。見果てぬ大きく高い世界に向け、細心の注意を払いながら、たゆみなく努力されていた。私のようなファンにも温かい心遣いを示してくださる方でした」と話した。
また、人形浄瑠璃の研究で知られる内山美樹子・早稲田大学名誉教授は「『沼津』を始め庶民的な人物を語ることを得意とし、入り組んだ筋の劇でも明晰(めいせき)で説得力のある芸で人々を魅了した。大衆の古典離れが加速する時代にあって、文楽の隆盛を支えた功労者だ」。日本文学者のドナルド・キーンさんは「住太夫さんの浄瑠璃を聴くことは、文楽に行くことの一番の楽しみだった。年も近いせいか話もしやすかったし、会話はいつも楽しかった。芸に対する真摯(しんし)さや厳しさを感じた。浄瑠璃を深く読み込み、自分に対して厳しく、並々ならぬ修業を積んできた人だといつも感じていた」と述べ、その功績をたたえた。