「かくれキリシタン」が祈りを捧げてきた絵。受胎告知の場面らしく、左下の人物は翼を持つ天使ガブリエル。右下はマリアだが、胸元にはすでにイエスがおり、混乱が見られる=平戸市生月町博物館・島の館
潜伏キリシタンの残照〈中〉
詠唱は30分ほども続いただろうか。
きっちりと着物を着込んだ初老の男性4人が、不思議な文言をひたすら唱えていた。ラテン語的な響きもあれば、かろうじて意味がつかめた日本語の単語もある。生月(いきつき)島(長崎県平戸市)に代々継がれてきた祈りの声はゆっくりと抑揚を重ね、はるか異国の調べにも聞こえた。
〈上〉祈り後の宴、仏教の神のもと…「かくれキリシタン」の今
〈下〉「参ろうや、天国の寺に」青海に浮かぶ天国に最も近い島
昨秋、平戸市生月町博物館・島の館で、オラショの実演を見た。オラショとは、禁教期に突入した約400年前以来、迫害を逃れた潜伏キリシタンたちが世代を超え、口伝えで現在まで残してきた祈りの文句だ。禁教が解かれた明治以後も、長崎県の一部に暮らす「かくれキリシタン」の人々のなかで受け継がれている。
16世紀から17世紀初めにかけて繁栄を見せた日本のキリスト教だが、宣教師の来日が絶えて以来、在地の神仏や祖先崇拝と入り交じって土俗化し、その原義さえわからなくなった。オラショもまた、キリシタン信仰に源を発しながら似て非なる意味不明な呪文と化し、ただ唱える行為自体に意義が見いだされるようになった。
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しかし、と島の館学芸員の中園成生さん。生月のオラショには、布教当時の、400年前の基本形が凍結されている、というのだ。
「専業の宗教者、つまり宣教師がいれば、信仰の形はニーズとともに変わっていくもの。ところが宣教師がいなくなったために、逆に簡単に変えられなくなった。結果的にオラショの一部は、昔の姿をそのまま伝えることになったのです」
とすれば、その片隅には、キリシタン信仰が日本で花開いたときの記憶が大切に保存されていることになる。
オラショの形は地区ごとに違う。ほとんど発音せずに胸の内で念じるだけの場合や、声に出したり節を付けて歌のように唱えたりする所もある。生月は後者。ここでは禁教の始まりが他地域より早かったので、全国的に弾圧が本格化する前の、比較的オープンだった状態がそのまま残ったのではないか、と中園さんは考えている。
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オラショの内容は謎めいている。信徒内でのプライベートな宗教行事だから、その研究やルーツの解明も難しい。それを追究したのが、立教大名誉教授で中世・ルネサンス音楽史研究者の皆川達夫さん(90)だった。
「そこに秘められたラテン語の聖歌の原曲を探そうと。ここに命の源があることに気づき、のめり込んでいったのです」
皆川さんとオラショとの出あい…