您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> 社会(日语) >> 正文

「不遇」の四天王像、ついに国宝に 運慶の父が製作

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2018-5-15 9:06:33  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


興福寺の境内図


奈良・興福寺の旧金堂(現在の仮講堂)に長く安置されてきた四天王像について、国重要文化財から国宝への格上げが決まった。鎌倉時代の天才仏師・運慶(?~1223)の父、康慶(こうけい、生没年不詳)が腕を振るった傑作とされるが、なぜ今まで国宝に指定されなかったのか。その謎に迫った。


この四天王像は木造で、高さ1・98~2・04メートル。興福寺南円堂の本尊・不空羂索観音坐像(ふくうけんさくかんのんざぞう、高さ3・36メートル)、法相宗(ほっそうしゅう)の高僧6人を表現した法相六祖像(高さ73・3~84・8センチ)と同様、鎌倉時代の1189(文治5)年に康慶がつくった。


だが、安置場所は四天王像が旧金堂、六祖像が国宝館(旧食堂)とばらばら。しかも、観音像と六祖像は国宝に指定されたが、四天王像は重文のままだった。


その背景には、興福寺の歴史が大きくかかわっている。興福寺は奈良時代の710年の創建以来、境内のほぼ全域を焼損するような火事や戦災に計7回見舞われている。最も被害が大きかったとみられるのが源平の争乱の平重衡(たいらのしげひら)の南都焼き打ち(1180年)。その復興の際に康慶や運慶が活躍し、康慶は大きな四天王像などを手がけた。


だが、江戸時代の1717(享…




 

新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇新闻:

  • 下一篇新闻:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    注册高达赢取大奖!

    09年2月《贯通日本语》杂志

    乃木坂46成员参加电影《薙刀社

    日本将棋美女进军娱乐圈:收入

    最大下潜2000米 日本研发深潜机

    爱酱获赞助商续约 日本好媳妇!

    广告

    广告