西城秀樹さんの遺影が飾られた祭壇。1974年8月、日本のソロ歌手として初の野球場での単独コンサートを敢行した大阪球場の外野席をモチーフにしたという。本人愛用の白いマイクも置かれた=東京都港区の青山葬儀所
16日に急性心不全のため63歳で亡くなった歌手、西城秀樹さんの通夜が25日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。郷ひろみさん、野口五郎さん、和田アキ子さん、八代亜紀さんら親交のあった歌手仲間や芸能関係者、ファンら約4千人が弔問し、別れを惜しんだ。
西城秀樹さん死去
赤やピンクのバラで彩られた祭壇は、1974年から続けていた大阪球場での野外コンサートを再現。モチーフにした外野スタンドの中央には、エンジ色のシャツを着てほほえむ西城さんの遺影が。グラウンド部分には愛用していたという白いマイクが置かれた。
午後6時の通夜開始を待つ、ファンらの長い列ができた。開始前の控室ではデビュー曲「恋する季節」をはじめ、「情熱の嵐」「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」「ギャランドゥ」など数々のヒット曲が流された。
西城さんと同じ70年代にデビューした郷さんは焼香後、詰めかけたマスコミの取材に応じ、「(野口)五郎が長男で秀樹が次男。僕が三男でした。『新御三家』と言われましたが、それぞれ個性を持っていた。『情熱の嵐』が好きでした。(彼の)歌い方は僕にはなく、素晴らしいものを持っていた。あとからデビューした僕は、背中を見るように一生懸命学んできた」と振り返った。2度の脳梗塞(のうこうそく)と復帰を目指した懸命のリハビリ。「当事者でないと分からない苦しみがあったと思います。でも僕より先に逝くなんて……。『これからもお互いに歌い続けていこう』と言っていただけに残念」と早すぎる死を惜しんだ。
葬儀は26日午前11時から同所で行われる。(編集委員・小泉信一)